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紫色と百々

百々の目は、普段真っ黒だ。
黒い瞳をした人でも大概、よくよく見ると焦げ茶だったり栗色だったりするけど、百々の瞳はマグカップになみなみ注いだ濃い目のコーヒーの中央部分みたいに、漆黒だ。
黒々としたそれは表面がいつも艶々して見えて、俺はとても綺麗だと思う。

だけど百々の目は、ある一定の条件下(とても天気のいい日、斜め下から見上げた時だけ)で見ると、赤く見える。
そのことに気づいたのは、多分俺が10歳やそこらの頃だったと思う。

気づいた時の高揚感ったらなかった。
だってその当時の俺と言ったら何も知らない子供だったわけで。黒く見えるものはただ黒いだけのもの、赤く見えるものはただ赤いだけのものだと思っていたのだから。

世界はこの両目に見えたままそのままだと信じて疑わなかった。
だから色々見なくちゃ、知らなくちゃとは思ってはいたけれど、俺はそんな感じであまり想像力に満ちた子供ではなかったから、まさか漆黒の中に赤が隠れているなんて夢にも思っていなかったのだ。

それはそれは燃えるような赤。
どこか秘密めいた、謎めいたその発見に、俺は内心興奮した。
そのことを知っているのは俺だけだと勝手に思って誰にも言わなかった。
もちろん百々本人にも。

百々の赤は底なしに透き通っても見えるから、何かの本で見た宝石のルビーのようだ。
深い赤だ。深過ぎて光に透かさないと漆黒に見える赤。
血のように赤の濃い、透き通ったルビーはビジョン・ブラッドと呼ばれ珍重されると知り、あぁ百々は鳩の血の目を隠し持っているんだ。と幼心に思ったのを覚えている。


百々たちが住む分家には、出窓と呼ぶには少々物足りないくらい大きく外側にせり出した窓がある。
そこは大の大人がひとり足を折り曲げれば座れてしまうほど広々としていて、午後になると南西側から差す太陽光でいつも淡くけぶっている。
どんなに寒い冬の昼間でもそこだけはふくふくとあたたかい静かな空気に満ちていて、意外と寒がりな百々は特に何の予定もない日、いつもそこに座ってなにやら本(その年代の男が好むようなやけに騒がしく雄々しい冒険ものや青春もの。もしくは漫画)を読んだり、窓の外に見える庭木に止まる小鳥や、透き通るように晴れた空やなんかを眺めている。

百々はどちらかというと外で泥だらけになって遊びまわるやんちゃ坊主。俺は家の中で本やテレビを見て過ごす大人しい子供だったけれど、定位置である出窓に座った百々は今も昔も変わらず俺をすら退屈にさせるほど酷く大人しく静寂を守る。
まるでそこで声をあげ音を立てることは罪悪だとでも言わんばかりに、ひっそりと。生真面目に。

そのひたすら静かな光の中に黙ったまま座り続ける百々を、俺は時々見上げる。
本当にすぐ近くまで歩み寄って、呆と外を眺める百々の横顔を眺める。
そこからだと多少百々に遮られるとは言え、それなりに太陽光のあたたかみという恩恵にも預かれるし、何より、普段の生活ではあまり見られない百々の瞳の赤みを見ることができるからだ。

百々は俺がどんなに近くに寄って行っても、声さえかけなければ。その静寂の邪魔さえしなければ、ちらりとこちらを見やるだけであっちに行けとか言わないで好きにさせてくれる。

ビジョン・ブラッド。

俺は百々にも内緒で勝手に名づけた百々の瞳の名前を、心の中でだけでひっそり呼ぶ。
呼びながら、赤々と艶めく瞳を見つめ、子供の頃は立ったままでも見上げていた出窓に座る百々の横顔を、大人になった今でも見上げられるようにと、その場にしゃがみ込む。

低い位置からしか確認できない百々の、多分本人は秘密にしようとも思っていないだろうけど、彼より先に成長した兄たちには発見することが難しいだろう漆黒の瞳に隠れた深い深い血の色。
さすがにもう俺だけが知っているとは思わないけれど、それを静かに見上げるだけで結構満足感を覚えるのだ。


また出窓に座ってぼんやりしている百々を見つけて近寄ろうとした俺の肩を、誰かがぽんぽんと軽く叩いた。
振り返ると、羽流兄さんが彼お気に入りの生成り色したふかふかクッションを差し出してきた。
百々の出窓の静寂を守るみたいに、何も言わずに。
声に出さずに視線で「なに?」って聞いたら、顎をしゃくる。それに従って視線をやったそこは、百々が座っている出窓の下、いつも百々を見上げるために俺が座り込む、長年かけて磨きこまれたアッシュブラウンのフローリングだった。

本家も分家も、建築方法なのか立地の関係なのか、夏でもフローリングはひやりと冷たい。
直接座ってじっとしてると結構冷える。
もしかして、羽流兄さんは俺がいつもその冷たい場所に直接座り込んで動かないのを知っていて、これを下に敷いてろと言っているのだろうか。と思い至り、俺は今一度彼を振り返った。

羽流兄さんはやっぱり無言のまま、とろりと眠そうな両目を細めて頷くだけだったけれど、その拍子に伸ばしっぱなしの彼のクリーム色した髪がさらさらと微かな音を立てて彼の顔を覆ってしまう。
彼のどこまでも色素の薄い透明な両目が見えなくなってしまう。

だけど彼はそんなのちっとも関係ないみたいに、確かに俺の目を見て、辛うじて前髪に隠れなかった薄い唇の動きだけで、「使って」と俺に言った。

俺はなんだかこっ恥ずかしい気持ち(だってなんか見透かされてるみたいだ)になったけれど、彼のその無言の優しさに素直に甘んじる気分でもあったから、小さめに頭を下げて受け取った。
ふかふかクッションは羽流兄さんの手から離れた瞬間、今まで使ったことのなかった俺の手にすらすんなり馴染んでしまう。俺はその柔軟さに驚いて素早く瞬きをした。
まるで羽流兄さんの分身みたいだと思ったからだ。

羽流兄さんは俺の直接の兄ではない。
もちろん、本家も分家も五つ子以外は誰一人として血など繋がっていないけど、俺は本家の三男。羽流兄さんは分家の長男だ。
本家の次男である真墨兄さんと羽流兄さんは双子みたいになんか独特な繋がりがあるけれど、俺と羽流兄さんには接点がない。
だけど羽流兄さんは不思議な人だ。本家の長男である八尋兄さんと同じ人種だからだろうか。妙に柔らかいのだ。物腰とかそういうのも含め、うまく言えないけど、…全体的に。
彼らと接触する場合、ぶつかる、という感覚が全くない。
ふわりと受け止められるというか、包まれるというか、吸い込まれるというか。陽だまりに滞留するあたたかい空気の中に一歩歩み出るような感じだろうか。
彼らは俺にとって、空気のような存在なのかもしれない。
向かい合った時の抵抗感がないという意味で。
その存在自体が俺たちを生かしているような気がするという意味で。

クッションが無事俺の手に渡ったことを確認した羽流兄さんは、ゆっくりと眠たげな瞬きをひとつ。それから、流れるようにしなやかに、するりと俺に背を向け部屋を出て行った。

俺はしばらくクッションを握り締めて立ち尽くしていたけれど、なんだか後を追う気にもなれずに背後を振り返る。
百々は相変わらず出窓に片膝を抱くようにして、静寂を守りながら座っていた。
手に持った漫画は読み終えてしまったらしく、ぼんやりと窓の外を見ている。
俺は足音を消して、息も殺してそっとそばに歩み寄り、いつも座って百々を見上げる定位置に羽流兄さんのクッションを置き、その上に座り込んだ。
クッションはつい今しがたまで日の光に当たっていたかのようにふくふくとあたたかく、やはり羽流兄さんみたいに柔らかかった。

見上げる先。
百々の漆黒に隠れた赤は、やはり光に透けて尚深く。硝子や鏡のように窓の外の景色を赤く染め上げ映している。

ビジョン・ブラッド。

俺はまた心の中でそっと呼んだ。

いいんだ、とふと思う。
羽流兄さんに色々ばれていたのはこっ恥ずかしい気もするけれど、でもこうしてクッションを貸してもらってしまうと、なんだか許されたような気分になった。
多分、羽流兄さんは俺より先に百々の目の秘密を知っていた。そしてそれに後から気づいて、まるで自分だけが知っているかのように口を閉じ、眺める俺をも知っていたのだと思う。
百々だって、俺がこうしてわざわざ冷たい床に座り込み、自分の目をじっと見ていることくらい気づいているだろう。
だけど何も言わない。羽流兄さんも、百々も。
俺がこうしていることを、少なくとも二人は許してくれているのではないだろうか。
いいんだ、と心の中でもう一度呟く。

いいんだ。

俺はなんだか嬉しくなって、緩む口端を抑える努力をわざと怠った。

「…何にやけてんだよ、気色悪い」

頑なに守り続けた静寂を壊して、不意に百々の声が俺の頭上から降り落ち、俺は驚いて顔を上げる。
つい先刻まで窓の外を見るともなしに見ていた漆黒の中の濃厚な赤が、それとは真逆の色である薄青がかった俺の目を映し、不思議な、なんともいえない色を作り上げていた。

「もも、」

「なんだよ」

それまでずっと守り続けた静寂を破ってまで百々が俺を見たことに驚いた俺は、たどたどしく彼の名を呼ぶ。
だけど百々はいたって普段通りに俺を見下ろし、まるで今まで守ってきたものなんて別になさそうに。それこそ驚くほど潔くそこにいた。

綺麗な赤。薄青色した俺とは正反対の、濃くて深い赤。
まるで宝石みたいだと俺は思う。
何度見ても飽きない。

座り込んだまま百々の瞳を真っ直ぐ見上げる俺に、百々は揺らぎもせずこちらを見返してくる。
真っ直ぐ。攻撃性なんて全くないのに、その分尊く射抜くようにして。
そうすることで、百々の深い赤の表に俺の薄青い色がうっすら重なって見えた。
何ものにも塗り潰されることなく確かに、確固たる強みでもって存在する赤の上、俺の薄い青が映り込むことが許されている。

…いいんだ。

「百々って優しいよねぇ」

「あぁ?」

なんのことだか分からない、といった顔をして百々が首を傾げるけれど、俺は腹の奥底から湧いてくる笑いがくつくつ喉を震わせるに任せることにした。

「平和だねぇ」

「だからなんなんだよお前はー」

「…知ってた?百々。お前の目、ビジョン・ブラッドみたいなんだ」

「びじょん、ぶ…?なんだそれ?」

百々は眉間に皴を寄せるとどうにも柄の悪い人相になるけれど、怒っているわけでも脅しているわけでもない。
それを知っている俺は、その単純に不思議がる表情を見て無垢だなぁなんて口にしたら怒られそうな感想を抱きながら、窓から差す光と、それを透かす深い、深い赤に目を細め笑った。
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