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八尋と真墨

「…うるさいな」

ぼそり、僕の向かいに座ってコーヒーカップに口をつけた真墨が眉間に皴を寄せ、不満そうに鼻を鳴らした。
僕はその限界までしかめられた不機嫌そうな顔を、微笑ましい気持ちで眺める。

先刻丁寧に淹れたコーヒーをゆっくり味わうこともままならないのは、今真墨が不満に思っている騒がしさが直接の原因、…とは言い切れない。
もちろんそれも原因の一端ではあるけれど、どちらかというと真墨本人の性格とか、性質によるものの方が強く影響していると思う。
だから、今少しばかり静かになったとしても無駄なのだ。
真墨が濃いコーヒーを熱いうちに穏やかな気持ちで楽しめるのは、僕らの弟や妹たちが大人しくお昼寝をしてくれている間だけだ。

真墨は紫色が赤子の頃この家に入った時から自分がずっとそういう事態に陥っているということに気づいていないのだろうか。
本人だというのに?…否、本人だからこそ。なのかもしれないけれど。

真墨がどんどん不機嫌になっていくのなんて全く気づかずに、ぎゃいぎゃいと騒ぐ僕や真墨の可愛い弟、妹たち。
僕は確かに騒がしいのは苦手だし、真墨が不機嫌になるのも嫌だけれど、これもまた平和な風景のひとつとして認識してしまうほどに、それはひたすらに微笑ましい騒がしさだった。

「あぁもううるさい!特に百々!少しは黙れ!」

堪忍袋の緒が脆い真墨が吼えると、直接名指しされた百々が、えぇ!俺ぇ!?と目を見開いて吼え返す。
とはいえ、真墨の怒鳴り声に思い切り肩を震わせ、半分泣きそうな顔で、だけれど。

こういう時、普段そこそこきりりとしている百々の表情は一気に子供のそれになる。
それも仕方がない。だって百々が赤子の頃から一番彼の世話を焼いたのもまた、真墨なのだから。
育ててくれた相手に対して強く出られないのは、僕を含め子供たち全員共通だ。

「真墨、そんなに怒らないであげて」

僕はなんだか微笑ましくて笑ってしまう。
途端真墨はバツが悪そうな顔をして顎を引いたかと思うと、なにやら言いかけたのにすぐに飲み込んでしまった。
遠慮がちにこちらを上目に見上げる。どうやら僕が怒っていないか確かめているようだけれど、目が合えばすぐに泳がせて逃げる辺りが真墨だ。
僕にとっては真墨も「可愛い弟、妹たち」のうちのひとりだ。真墨が怒ったりしょげたり忙しい中、僕の機嫌は反してどんどん良くなる。

「百々だけが原因じゃないでしょう?紫色が莉世を抱っこして離さないから、百々は妬いてるだけだよ」

僕は怒ってないよ、と真墨に伝えるために、殊更優しく微笑みかける。が、それに反応したのは百々だった。
今度は僕の方に見開いた目を向ける。
真墨と同じく眉間に盛大に皴を寄せているけれど、見事に顔が耳まで真っ赤だから威圧感の欠片もない。

「や、妬いてねぇ!莉世が紫色に汚されるから、離せっつってるだけだ!」

「抱っこしてるだけじゃないの。なんで俺に抱っこされただけで莉世ちゃんが汚れるのさ。失礼な」

「莉世ちゃん、とか言うな気色悪い!汚れるっていうか穢れる!いいから離せ!莉世の半径5メートル以内に近づくんじゃねぇ!ていうか同じ空気吸うな!」

「ふはっ、無茶苦茶言うし。男の嫉妬は醜いねぇ」

「この野郎…!」

百々に怒鳴られた紫色は、だけど百々の怒声なんて全く堪えていないらしく、両腕の中に莉世を抱いたまま笑みまで浮かべて飄々としている。
その上、抱っこされている莉世は莉世で、珍しく紫色が相手をしてくれているのが殊の外楽しいのか離れる素振りも見せず、百々が必死になっているのを不思議そうに眺めている。
それがまた百々のもどかしさに拍車をかけ、声を大きくさせるのだ。
あぁ、またそんなに大声出したら、

「どっちでもいい!とにかくうるさい!」

ホラ、真墨が怒った。
ふ、ふふふ。僕はとうとう小さく吹き出した。
すると、百々と紫色を鋭い視線で睨みつけていた真墨が、弾かれるようにしてこちらに視線を持ってきた。
それ自体が小ぶりなせいで、ほとんどが丸々とした黒目で埋め尽くされた目が、驚きに見開かれている。
不思議に思って首を傾げ、ふと周囲を見やると、つい先刻まで顔を真っ赤にして怒鳴っていた百々も、それをからかって遊んでいた紫色も、そして莉世までも目を丸くしてこちらを見ていた。

「…なぁに?」

僕はとりあえず目の前の真墨に問うてみる。
真墨はまた、目が合った途端泳がせて逃げるけれど、それでも辛抱強く見つめているとちらりとこちらに戻ってきた。素直ないい子。僕はますます機嫌が良くなる。
だけどやっぱり、反して真墨は複雑そうに眉間に皴を寄せた。
今度は怒っているのとは違う。戸惑っているのだ。

それを見て、そうだ。そういえば真墨は僕に弱かったな。と思い出す。
僕は真墨みたいに真墨の世話を焼いたりはしなかったけれど、一番最初の弟ができて嬉しかったこともあって、僕なりに大事にした覚えはある。
やはり、真墨も僕に育てられたと認識しているのだろうか。

僕は目の前でもうすっかりぬるくなってしまっただろうコーヒーカップを両手で包み、据わり悪げに目を泳がせては戻ってくる真墨をじっと見つめた。

「いや、…だって、八尋兄さんが、…」

「僕?」

「…声出して笑うって、…珍しいし」

もごもごと言い辛そうにそう言って、真墨はまた視線を逃した。
その逃れる視線を追うと、やはり複雑げな顔でほんの僅か頷く百々と、こっくり深々頷く紫色、まん丸な目をしたままこくこくと何度も頷く莉世が見えた。

「…そうかな」

確かに僕はあんまり大声を出すのは好きじゃないけど…そんなに驚くほどのことなのだろうか。
僕が首を傾げると、すっかり力を抜いた紫色の両腕から離れた莉世が、満面の笑顔で僕に抱きついてきた。
椅子に座った僕の胸に顔をうずめ、僕のウエストに回した腕にぎゅうっと力を込める。
ちらりと百々を見やるも、紫色相手ほど文句が出ないらしく毒気を抜かれたような顔でこちらを見ていた。

…僕はいいんだ。

百々は紫色にだけは妙に厳しい。歳が近いからだろうか。
それとも、紫色にとって本家分家と離れてはいるものの初めての弟だったから、子供の頃からからかわれ過ぎた(それは紫色にとっての愛情表現だったのだけれど)せいだろうか。

「莉世?」

間近にある莉世の子供独特の甘い気配漂う小さな頭をそっと撫でると、僕の胸から顔を上げた莉世は頬を薔薇色に染め、きらきらとした薄青い瞳で僕を真っ直ぐ見上げて花のように笑った。

「笑ったヤヒロって素敵!ヤヒロの笑い声って綿菓子みたい!」

「…そうかな」

僕はなんだかくすぐったくて微笑んだ。
どちらかというと、綿菓子という表現は僕より莉世にぴったりだと思うのだけれど。
しかしすぐさま、そうよ!と答えた莉世は、なんだか本当に嬉しそうに何度も頷き、そうよね!と周囲の兄たちに同意を求める。
その迫力に気おされたのか、真墨も百々も、そして紫色まで曖昧に頷き、僅かに苦い笑顔を浮かべた。

「真墨」

呼びかけると、びくりと肩を震わせる。
その肩先を見て、真墨は子供の頃から僕に対して不思議な緊張感を持って接してきていたことをふと思い出した。

甘えるにしたってどこか遠慮がちで、いつも上目にこちらを伺うように見上げてきた。
そんな時僕は子供という生き物に対してどう接してあげれば心から安心してくれるのか分からずに、ただ優しく微笑みかけたり、目線を同じくしようとしゃがんだり、できるだけそっと抱いてあげることしかできなかった。
その分、初めて僕の腕の中で熟睡してくれた時の喜びはひとしおだったけれど。

可愛かったな、真墨。小さな小さな命の塊。
次の弟がこの家に入ってきて、真墨はすぐに甘えることをしなくなった。
まだ幼さの残る横顔で、立派な兄を勤め上げようと頑張っていた。
甘えるのは下手なくせに甘やかすのは上手な真墨は、本家分家関係なく、誰より弟や妹たちの面倒を見、常時気にかけてきた。
丁寧に淹れたコーヒーを熱い内にゆっくりと味わうことも無意識脇に寄せてまで。
だから皆なんだかんだ言って真墨には頭が上がらない。皆真墨が好きだから。
すごくすごく、好きだから。

「そんなに緊張しないで。僕だって時々は声を出して笑うよ。だって真墨が可愛いから」

「…俺?」

「そう。皆可愛いけど、今日は特に真墨が可愛いな、と思ったから。…気を悪くしないで」

にっこりと微笑みかけると、真墨はおたおたとうろたえる。
別に気なんて悪くなってないけど、でも可愛いってその、あんまり。もごもご言いかけて、だけど語尾は苦笑とも失笑ともつかない複雑な笑顔に消えた。

「…やっぱり八尋兄さんには適わない」

「そう?」

うん。真墨はまるで子供に戻ったみたいな幼い表情で小さく頷き、僕の胸に顔をうずめたままの莉世を抱くふりをして僕の肩にほんの僅かおでこを乗せた。
僕はそんな真墨の遠慮がちな甘えを愛しく思い、莉世の時と同じように優しくそっとその丸い後頭部を撫でる。
僕と真墨の間に挟まれた莉世と僕にしか聞こえないくらい小さな音で、くくく、と真墨が喉を鳴らす。
それを聞いたのだろう莉世は、蒸気した薔薇色の頬をますます鮮やかに染め上げ、嬉しそうに僕の胸に頬擦りしてきた。

僕と真墨がふたりきりで本家にいた頃。それは僅かな時間だったけれど、真墨はその頃くらいしか喉を鳴らしたりしなかったから、その喜びや心地よさを喉元に全て集めて凝縮したような、小さな硝子球が転がるような幸福な音は僕だけが知っているものだった。
それを莉世にもお裾分けできたことが嬉しい反面、ちょっと妬けちゃうな、とも思う。

莉世を抱き上げすぐに僕から離れた真墨は、照れくさそうにへにゃりと笑い、完全にあっけにとられてぽかんとしている紫色と百々の存在を思い出したか、急に顔を真っ赤にしてそのまま脱兎のごとく逃げて行った。

「………、て、あ!ちょっと!真墨兄!莉世まで連れてくな!返せ!」

莉世を抱いたまま部屋を飛び出した真墨に、随分な間を空けて気づいた百々が大慌てでその後を追い、それらを黙って見送っていた紫色が、ふ、と短い溜め息をつく。

「…あんな真墨兄さん初めて見た。超不機嫌だったのに。…さすがだよね、八尋兄さんって最強」

ぽつり、零された言葉に僕は、やっぱり少し声を出して笑ってしまった。
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