スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

真墨と紫色

なんでこうなるんだ。

俺はほぼ毎朝の習慣となってしまった仕事をこなしながら、その有無を言わせぬ理不尽具合に深々と溜め息をついた。
すると、俺の前にある椅子に座り、床に届かない両足をぶらつかせながら手鏡なんて可愛らしいものを手にご機嫌になっていた本家分家紅一点の莉世が、「マスミ、溜め息なんてついたら幸せが逃げちゃうよ」と無邪気に笑った。

「溜め息くらいつきたくもなるだろ。なんで莉世まで俺に髪いじらせるんだよ。こっち来る前に家で百々にでもしてもらえばいいだろ」

「だってー、マスミの方が綺麗に結ってくれるんだもの」

手鏡越しに俺を見やり、にっこりと微笑んで見せる。
そうすることで俺がそれ以上反論ができなくなることを、もしかしてこの子は知っていてやっているのではないか、と俺は時々疑う。

俺は最近伸ばし始めた莉世の繊細で柔らかい薄青がかった黒髪をつげの櫛(最近奮発していいのを買った。プラスティックのだと子供たちの髪が痛むこと発覚)でそっとふたつに分け、耳の真上でツインテールにすべく丁寧に梳かしながら持ち上げた。

「このくらいの高さでいいか?」

「うん!可愛くしてね!」

「…それ、さっき伊果にも言われた…」

だからってなんでこうなるんだ。
俺の頭はまだ寝起きのままだというのに。

そう。俺はついさっき、自分の部屋で寝ていたところを五つ子どもに叩き起こされ、怒鳴る間もなくねだられるがまま髪を結ってやったのだ。
伊瑠の方はまだましだ。まずまず素直な髪質をしているから、伸びた前髪が目に入らないよう頭のてっぺんでちょんまげにでもしてやればいい。
以前戯れでやったら本人的にお気に召してしまったらしく、よくその髪型を要求される。
問題は伊果だ。
もうこれ以上ないくらいのくりんくりん。結構天然パーマのきつい八尋兄よりもっときついこしのある癖っ毛の持ち主であり、本人もそれをコンプレックスにしているもんだから、セットが大変なのだ。何気に注文も多い。なかなか満足してくれない。
ヘアアイロンでも買ってくるかな…と思わなくもないが、まだ子供である伊果の髪にあんな熱毎日当てたら痛んでしまいそうで怖い。
ていうかそこまで俺の個人的なお小遣いを弟たちに割くのもなんだか腑に落ちないし。

そういうわけで、俺はドライヤーの温風と冷風、自分のヘアワックス等を駆使してやっと伊果を黙らせた。
くりんくりんはどうしてもストレートになんてならないから、とりあえず大体抑えて可愛い可愛いと褒めて無理やり納得させた、という方が正しいかもしれないけれど。

それから他の3人もどうにか黙らせ、さぁやっと顔洗って自分の髪のセットだ。朝飯が食える。と思った矢先、羽流の馬鹿が朝っぱらから百々と莉世たちを連れて前触れなしに突撃してきやがった。
珍しいこともあるもんだ、なんて言ってる場合じゃない。
イヅたちのセットが終わった直後。まだ椅子に最後の伊音が座っていて、俺はヘアゴムだ櫛だドライヤーだを片付ける前だ。
当然、おませな莉世が「わたしもやって!」と喜ぶのなんて目に見えてる。
伊音が椅子から飛び降りると同時に莉世が目の前に座り、伊果の(なんだかメルヘンチックなデザインの)手鏡を借りたかと思えば、「ツインテール!」と一声ご注文。
目覚めてからまだ水以外何も口にしていない俺のために、慈悲なのか八尋兄さんがコーヒーを淹れてくれたけれど、ゆっくり楽しむ暇もなく、ちょっと啜っただけで作業再開だ。
なんでこうなる。

「悪い、真墨兄。俺じゃ納得してくれないんだ。どうしても一部が歪んじまってさ」

苦く笑う百々が、八尋兄さんからもらったのだろうコーヒーカップを片手にそばの椅子に背を抱くようにして座った。
それをじろりと横目に睨む。

「この不器用」

「真墨兄が器用過ぎんだよ」

「慣れだよ、こういうのは。昔紫色の髪も俺が結ってやってたからな」

紫色。その名を出すと、百々は目を丸くして顔を上げ、へぇ、と気の抜けた声を上げた。
今の紫色からは、俺に大人しく髪を結われている姿が想像できないのだろう。

「あいつも伊瑠と同じでさ、前髪伸ばしたがってたんだよ。でも目に入るだろ。だから、ある程度伸びるまでは髪を結うのを条件に伸ばすの許したんだよ。妙に見た目に拘るガキだったから大変でさ。…ていうかお前、ブラシでやってるだろ。子供の髪の毛は細くて柔らかいから櫛でやれ。お前もつげの櫛買え。椿油も買え」

「…勉強になります」

紫色が髪型にかなりの拘りを持っているのを知っている百々は、その戦いの壮絶さを想像したのか口端を歪め、少しおどけて頭を下げてきた。
じゃあこれからはお前がやれ、と最後通告をすればそれはそれ。ようやくツインテールの片一方ができあがった莉世から、「担当の美容師を指名するのはわたしよ!」と至極楽しげな駄目押し。

だからなんでこうなるんだっつの。

それからなんとかもう片方も結い上げ、動くたびふよんふよんと揺れるツインテールが満足げに俺の頬にお礼のキスをした(シスコンの百々の顔が見事に引きつった。ざまあ見ろ)のは、俺が叩き起こされて2時間近く経ってからだった。

確かに莉世のキスは嬉しいけど、なんだか割に合わない気がする。
ご苦労様。と薄く微笑む八尋兄さんからトーストとサラダを受け取りながら、後からお礼がまだだったと気づいた五つ子どもからの入れ替わり立ち代り両頬への同時キスもついでと受け取る。
子供といえど野郎からキスを貰ってもあまり嬉しくない。
ありがとうの一言、もしくは自分でセットできるようになれば俺はそれだけで満足だから。せめて叩き起こさないでくれ。俺に穏やかな朝の目覚めをくれ。
さすがに成長してきたやんちゃな五つ子の同時ジャンプ&ダイブを睡眠時に的確に受け止めきれるほど俺は頑丈でもないのだ。正直潰れる。
そういうのは百々にやれ。と言いたいが、百々も大概同じような目にあってるだろうからあえて口にはしないでおくことにした。


朝食を摂ってから洗面所に行くと、先客がいた。
少し薄暗い洗面所では、薄青い存在はどうも溶け込むからびっくりする。

「…紫色。今起きたのか?」

驚いたのを気取られないように慎重に声をかけると、なにやら髪のセット途中なのか、前髪を手で抑えたまま紫色が薄っぺらい身体を捻ってこちらを振り返る。
女みたいな顔つき(莉世と同じ人種だからだろうか。妙にませた色気があるのが困りもの)で流し目とかやめてもらいたい。わざとやってるわけでもなさそうだけど。

「おはよ」

「おう、おはよう。随分ゆっくりした朝だな。羨ましいこった」

「あぁ、五つ子に叩き起こされたんでしょ?部屋隣だから聞こえてた。俺はその後もう一回寝たけど」

「いい身分だなこの野郎」

「だって昨日夜更かししちゃったんだもの。…なに、またイヅたちの髪のセット?美容師さんは大変だねぇ」

紫色はくすくすと吐息を鼻にかけるような独特の笑い方で笑い、改めて鏡に向き合うが、どうも自分の思うようにセットができないらしい。ち、と小さく舌打ちが聞こえた。

大概、子供の頃は誰でも(伊果みたいな例外もいるが)細くて柔らかい髪質だけれど、大人になるにつれある程度はしっかりしてくるものだ。
だけど紫色は違うらしい。いつまで経っても細くて柔らかく、なのに妙に直毛だ。見ているだけでも扱いにくそうだと思う。

俺は急かす理由もないから、壁に背を預け、内心必死なのだろう、涼しいポーカーフェイスで髪のセットに挑む紫色の背中をぼんやり眺めた。
ってことはあれか、同じ人種の莉世も成長してもあの髪質のままなのかもしれないってことか。厄介だな。なんてどうでもいいことを考えていると、ふと、鏡越しにこちらを見る紫色と目が合った。

「…なに?邪魔?って、気が散るか。どっか行ってようか。それとも俺がやってやろうか?」

俺は他意もなくそう言った。
叩き起こされて五つ子の髪をいじった上に莉世までやったのだ。朝食は終わってるし、もうこうなったらもう一人くらいなんてことない。
それに、先刻百々に昔紫色が子供だった頃髪のセットをしてやっていた話をしていたから、感覚が麻痺していたのかもしれない。

紫色は俺の提案に、勢いよくこちらを振り返った。
薄青がかった不思議な色の直毛が、紫色の動きから少し遅れてさらさらと流れ、大きく見開いた釣り目気味の両目の真上に落ちていく。
まさかそんなに驚かれるとも思っていなかった俺は、紫色の反応に逆に驚き息を呑む。

そうだ、紫色は全部自分でやらないと気が済まない奴だった。
周囲は諦めの溜め息をつくしかないくらい頑固で神経質なのだ。完璧主義なのかもしれない。
ある程度成長してからこっち、紫色は大概自分でこなした。特に髪型なんて紫色にしか分からない拘りだらけだ。今更俺に頭を預けるわけもないか。

冗談だよ、と笑ってやろうと息を吸った俺は、だけど迷うように目を泳がせ、頼める?とおずおず。ものすごく小さな声で呟いた紫色の言葉に、また出しかけた息を呑んだ。

…あれ。なんでこうなるんだ?


紫色はこれで結構寂しがりの甘えん坊だと俺は思う。
どうも頑固でひとりが好きだから放っておいてくれとは言うものの、全く相手にされないならされないでつまらなさそうだし、こうして俺が何年ぶりかに髪をいじっても借りてきた猫のように大人しいし、櫛通りのいい髪を梳かしている間、気持ちよさそうに目を細めている。
それでもやはり他の兄弟たちに見られるのは嫌らしく、先刻片付けたヘアセット一式と共に紫色の私室でひっそり美容師業再開となった。
否、美容師になんてなった覚えはないけれど。

「完全に俺に任せたらどうなるか知らないぞ?」

「いいよ、今日は真墨兄さんに任せる。格好良くして」

「…難しい注文だな」

「喧嘩売ってるなら買うよ。俺だって時々は」

「冗談だよ」

ふふ、紫色は椅子に座って俺に背を向けたまま、実に楽しげに笑った。ご機嫌なようだ。
いくらか成長したとは言え、肉づきの薄い華奢な紫色の背後に立つこの視界も、その繊細な髪の感触も昔とあまり変わっていないことも手伝って、俺はなんだか懐かしい気持ちになった。

とりあえず邪魔そうな長く伸びた前髪を斜めに分け、一部をヘアピンで留めてみる。残りは耳に引っ掛けるが、妙に直毛な紫色の髪はすぐにさらさらと落ちてきてしまった。ワックスをつけてもあまり変わらない。
仕方なくヘアピンで留めた部分以外の前髪と頭頂部辺りの髪をごそっと後頭部まで持ってきて、シンプルなヘアゴムで結ってやった。

剥き出しになった紫色の血色の悪い薄い頬は、斜め後ろから見ると釣り目もあいまってちょっとした美人だと思う。
男に美人っておかしいかもしれないが、紫色は格好いいというより、やっぱり美人という言葉の方がしっくりくる。黙っていれば。の話だけれど。

「ほい、綺麗になった。たまにはこういうさっぱりしたのもいいだろ」

鏡を渡すと、角度を変えてあちこちチェックした後、満足げに喉を鳴らす。その密やかな笑みを聞いて、俺はほっとする。せっかくセットしたそれが乱れない程度に頭をぽんぽんと撫でてやった。
怒るかな、と一瞬思ったけれど、紫色はすぅと目を閉じ、大人しくしている。
それを見て、あぁ甘えるの下手になったな。それが大人になるということかもしれないけれど。と少し寂しさを覚え、こっそり苦く笑った。

紫色の今日の髪型は、思いのほか他の兄弟たちに好評だった。
綺麗な顔してるんだからどんどん出したらいいのよ。というのはおませな莉世の言葉だ。
大概顔を褒められることに慣れてしまっている紫色だったけれど、今日はなんだか嬉しげに照れたりするものだから、俺はまた時々こっそり紫色の髪のセットもしてやるか。とちょっと思う。
兄弟専属の美容師も悪くはない。これで毎朝穏やかな目覚めが手に入れば尚いいんだけれど。

手始めに、俺のそばでうとうとしている羽流の長ったらしい前髪を伊瑠と同じちょんまげにしてやり、その簡素な労働の賃金として、弟たちと妹のけたたましい笑い声を手に入れた。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。