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真墨と八尋

俺が手繰れる一番古い記憶は、多分3、4歳くらいの頃のものだ。
八尋兄さんは奇跡的にも赤子の頃の記憶の断片があるらしいが、俺には全くない。
八尋兄さんの一番古い記憶がどんなものかは知らないけれど、俺の一番古い記憶には、その頃お気に入りだった玩具やお菓子より何より尚濃く、八尋兄さんがいる。

俺は幼心に何故か彼が怖かった。
怖かった、というより、分からなかった、という方が正しいのかもしれない。

八尋兄さんは何があっても平常心を保ち、いつもふんわりとした緩い微笑みを称えている人だし、淡いクリーム色の柔らかなカールが印象的な髪も、色素の薄い瞳も、骨格はそれなりにしっかりしているはずなのに肉付きの薄い身体も、威圧感の欠片もなく、むしろどこか儚げで優しいイメージがある。
彼が大笑いをしたり声を荒げて怒ったり、それどころか驚く、悲しむ喜ぶ等の感情の大きな波を表に出したところなんて見たことがない。

多分、彼の微笑みは俺にとっての無表情に近いものだのだろう。
特に笑おうとして笑っているのではなくて、多分彼の顔のつくりそのものがそういった形をしているのだと思う。

何故か妙に八尋兄さんや羽流のことがお気に入りの莉世なんか、八尋兄さんのことを西洋画の天使のようだと時々言うが、俺もそれには賛成だ。
決して大げさではない。

彼は大人になってもどこか現実離れしているというか、妙に神秘的な何かを持っているのだ。
八尋兄さんの恋人である小結さんは、一体どんな理由でそうなったのだろうか。そもそも、小結さんにしか知りえない八尋兄さんの顔とはどんなものなのだろうか。
無理だろうけど、ちょっと見てみたい。

とにかく、幼子だった俺にとって、八尋兄さんは今よりもっと不可解で不思議な存在だった。
その対象のことが分からなければ分からないほど、好奇心の塊である子供にとって印象深くなる。

お陰で一番古い記憶にあるのも、八尋兄さんのみ。
俺は八尋兄さんの膝の上に座って、絵本を読んで貰っていた。
その絵本の内容は覚えていない。
ただ、八尋兄さんのどこか線の細い、だけどふくふくとあたたかい膝の上はとても安心できたのだけは覚えている。

最初俺は八尋兄さんの膝に触れることすら躊躇した。
幼心に、血も繋がっていない、不思議な存在である兄にどう接して良いのか分からなかったのだ。

兄というもの。家族というものがどんなものなのかいまいち分かっていなかった。
…まぁ、それを言ってしまうと正直今でもよくは分かっていないけれど。

だけど八尋兄さんはゆるゆると微笑んで俺を呼んだ。

「真墨、おいで。子供の内は子供のふりをしていていいんだよ」

その言葉を聞いて、俺は心底驚いた。
子供のうちは、子供の、…ふりをしていていい?
それは一体どういうことだろうと疑問に思う。だけど、八尋兄さんはそんな俺の頭上に増産されるクウェスチョン・マークにすら微笑みかけるようにして、小さく首を傾げる。

「真墨、好きな絵本を持っておいで。一緒に読もう」

読んであげるから。ではなく、一緒に。そう言ってもらえた俺は何故か無性に嬉しくなって、おずおずとその時お気に入りだった何かの絵本を差し出す。
それを受け取る八尋兄さんの、骨の浮いた細く、ごつごつとしているのに白く儚い指先。
おいで。と再度呼ばれ、絵本を掴む手とは逆の手が、俺の肩をやんわり撫でた。
その手には全然力が篭っていないのに、有無を言わさぬ目に見えない力で俺を膝の上に導いた。

肉の薄い八尋兄さんの膝。長い両腕の間にすっぽりと収められた自分の小さな身体。目の前に広がる柔らかなパステルカラーの絵本の世界。耳元で囁くようにして絵本を読み上げる八尋兄さんの、低く、ほんの少し掠れた甘い声。
俺はすっかり彼が纏う非現実的な雰囲気に呑まれ、夢中になった。そしていつしかあまりの心地よさに何度もうとうとした。
八尋兄さんはまどろみからずれ落ちそうになる俺の頭を肩に乗せなおし、俺が完全に寝入ってしまうまでずっと俺を膝に抱いたまま絵本を繰り返し、繰り返し読み聞かせてくれた。


今ではもう絵本を読み聞かせてもらうどころか彼の膝になんて絶対に座れないけれど、でも、コンプレックスになるほどあんまり身長の伸びなかった俺は多分、今でも彼の両腕に包まれてしまうのだろうと思う。
否、彼の懐にはもう入ってなどいけないけれど。絶対に。

彼は俺にとって、今も昔も不思議な人なのだ。
分からない、ということは恐怖も呼ぶ。恐怖というより、畏怖に似ているかもしれない。
血の繋がりがないのが信じられないほど幼馴染の羽流は八尋兄さんにそっくりに育ったけれど、見た目じゃないんだ、きっと。
彼を包むオーラが、近づくたび俺の子供の頃の記憶に引きずり戻す。



「…羽流は本当によく寝る子だね」

本家に弟たちを連れて遊びに来ていた羽流が廊下でまた寝ているのを見つけた八尋兄さんは、呆れるでも哂うでもなく、ただ静かに微笑み見下ろす。
羽流は本家分家の子供たちの中で何故か一番身長がひょろひょろ伸びた体躯を折りたたむようにして眠る癖がある。
どこでもすぐ眠るのだ。

「寝る子は育つって言うけど、羽流の野郎これ以上育つ気かよ」

その隣、俺は自分にない長い手足を折り曲げ眠る羽流の裸足のつま先を軽くつつく。
熟睡した羽流はこの程度じゃ絶対に起きないことを知っているからだ。

以前、ドア付近で眠っていた羽流に、幼い弟たちが乱暴に開けた扉がすごい音を立ててぶつかったことがある。
あんまりにもすごい音だったからさすがに怪我をしたのでは、と心配するこちらを他所に、羽流は「…いたー…」とぽつり零しただけですぐまた眠ってしまった。
ぶつけた足には擦り傷と大きな痣ができていたのにも拘らず、だ。
寝汚いにもほどがある。

そのことを知っている八尋兄さんは、当然睡眠の邪魔をしてはいけないなどと俺に注意もしない。
ふ、と穏やかな溜め息をつき、幼い弟たちにするように俺の頭をそっと撫でてきた。

「夢を見るのが好きなのかな?ベッドとは違う夢が見られるのかもしれない」

「夢…ねぇ?」

「真墨も夢を見るといいよ。なんなら、また一緒に絵本でも読む?」

「…俺はもう子供じゃねぇし」

なんだか照れくさくて、八尋兄さんの手を頭からそっと外す。
邪険に振り払うなんて絶対にできない。
八尋兄さんは外された手をしばらくぼんやり眺めていたけれど、不意に俺を見やり微笑みを深めた。

「大人だって時々は子供のふりをしていいんだよ」

おいで。八尋兄さんの声が耳元で低く、どこまでも優しく、まるで使い古しても捨てられないお気に入りのタオルケットのような心地よさで俺を呼んだ。
八尋兄さんは俺にとって、天使というより悪魔に近いのかもしれない、と時々俺は思う。
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