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こんな時くらい、素直になればいいのに

こめかみを伝い落ちる冷たい汗の気配に頬が痙攣し、そのことで我知らず、自分の顔が皮肉めいた笑みを模っていたことにようやく気づいた。
ばくばくと落ち着きなく鳴り続ける心臓がうるさい。
酸欠のせいでか、頭の中がぐらぐら揺れている。
冬の冷たい空気を必死に取り込んだ肺がその気温のあまりの低さに驚いて、油が切れた歯車みたいにきちきちと痛々しい音を立てて軋んだ。

目の前ぶら下がる自分の限界をも無視して走ったのは、別に君のためじゃない。
走りたかったから走った。
走らなければと思ったから、走っただけだ。
行き着いた場所にたまたま君がいただけだ。

そんな、子供にすら通用しなさそうな愚直な言い訳を口にしそうになって、目の前へたり込んだまま驚いた顔でこちらを見上げる君の、まん丸な瞳があまりに澄んでいるのに我に返り、慌てて飲み込んだ。
その瞳を目の前にして、くだらない言い訳を口にするにはあまりに無粋だと思ったのだ。
顔に張り付いたろくでもない笑みを、ぎゅう、と抑え込む。
冷たい風を振り抜いてきたせいで、凍りついたみたいにぎこちなく、ぱりぱりと頬が音を立てた気がした。

「… 、」

震えた声が空気を通して俺の鼓膜までも震わせる。
その何かに怯えるかのような表情から紡ぎ出された言葉が、怖いだとか嫌だとか無理だとかそういった悲しいものではなく、単純に俺のファーストネームのみだったことに、俺は何故かその場にへなへなと脱力しそうなくらい安堵した。
走ってる最中、がちがちに強張っていた肩からほんの少しだけ力が抜け落ちた。
落ちた欠片は粉々に砕けた硝子の破片のように俺の肩先から腕を掠め、着ていたコートの裾にぶつかって地面に散らばる。
俺はさりげなくそれをつま先で踏みにじり、土の中に隠そうと無駄な抵抗を試みた。
だけど君は多分そんな俺の虚勢なんて自然に見抜いていて、抱え込みすぎて歩けなくなるほど膨れ上がった荷物の上にまた、破片すら拾い集めて乗せてしまうのだろうと思う。
そんなこと、しなくていいのに。

「…ばか」

俺は小さく呟いた。

「ど、うして」

くしゃり、君の顔が歪む。
今にも泣き出しそうに、溢れ返りそうな感情を一生懸命抑えるみたいに、君の顔が歪んだ。

「どうして、どうしてどうしてどうして!」

途方に暮れた声が、何かを乱暴に振り払おうと暴れた。
だけどそんな程度の暴動じゃ、君や俺を取り巻く様々な悲しみを振り払うことなんてできない。
君がその荷物の、せめて一部だけでも諦めない限り、君も、君を連れ戻そうと走ってきた俺も、ここから動けやしない。
簡素でぬるく薄っぺらい俺たちの家になど、帰れないのだ。

「…分かってる。分かってるから」

俺はそんな安っぽい言葉ばかりを繰り返し、未だ鳴り止まない耳鳴りと、荒いままの呼吸を唾液ごと喉の奥に無理やり飲み下し、深く、息を吐いた。
君がどれひとつ諦めないことくらい分かっている。
だから迎えに来たんだ、本当は。
無理やり君の腕から荷物を剥ぎ取ることもできない俺には、だけどせめて分担すればもしかしたら、とか、それでも駄目ならもういっそこのままここで君といればいいだとか、何の解決にもならない慰めすらも口にできないけれど。

「どうして!」

君は取り乱し、へたり込んだ周囲の土を両手でなぎ払う。
だけどそれでも乾いた土煙が僅かに上がるだけで、それすら君の両目から零れ落ちた透明な雫の言い訳には使えそうもなかった。
はたり、はたはた、後から後から零れ落ちる雫は、乾いた土の表を点々と湿らせていく。
俺はそれを、今にも君の目の前座り込んでしまいそうな己の両足に怯えながら、でもどこか他人事のように見下ろした。
俺はまだ、へたり込んでしまうわけにはいかないのだ。
俺まで立ち続けることを諦めたら、一体他の誰が君の腕を掴んで引き上げてくれるというのだろう。
一度へたり込んだら最後、多分俺も君も二度と立ち上がれない。
だから駄目なんだ、君がどんなに疲れ果てても、俺だけは立ち続けていないと。
例えどれほど君の涙が奇麗でも、触れたいと心の奥底から願っても、今、君の目の前膝をつくわけにはいかないんだ。

「分かってる。もういいんだ。…行こう」

悪かった、ありがとな。力なく呟く俺に、君は固く目を閉じ、小さく頷いた。
俺はこめかみから顎先を滴り落ちた冷たい汗を無視して、君の土で汚れた手を掴む。
いくら分担しようとも君の大荷物を持ち上げることなどできないかもしれない。
でも、せめて引きずることくらいはできるかもしれないだろう?
もしそれでも駄目なら、いっそここで君とふたり、春を待てばいいんだ、きっと。

「一緒に帰ろう」

今すぐは無理でも、いつかあの、どこまでも嘘っぽく殺風景で優しい、俺たちの家へ。
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