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秋火花

所詮、一瞬のものです。
所謂、階層の違いを見せ付けるだけの作業だったのでしょう。
無駄に中途半端な思い出を、このような形で再度焼き鏝を押し付けるような痛みを伴って再現されると、これ以上何をどうすればいいのか困惑するだけです。
何がしたかったのか。
何が欲しかったのか。
何をして欲しかったのか。
何をどうしたかったのか。
そんな稚拙な欲望など覚えておりません。
あれが何年前の何月何日だったかも覚えておりません。
人は歳を取るたび、何かを諦め、何かに執着していく生き物です。
年々強固に塗り固まっていく「己」と対峙しつつ、溜め息のような呼吸を繰り返す生き物です。
ですから、今更その当時の記憶を思い出させたところで、その時の欲望も、感情の流れも、何一つ思い出せないのです。
ただ、映画館のフィルムが流れるように淡々と。
焼きつき残ってしまっていた残像が、映像として目前でちかちかと瞬くだけです。
無駄が嫌いなわけではありません。
生きること自体が無駄なのですから、無駄を嫌っていては生きていかれません。
人の人生は無駄なもので溢れ返っております。
きっと私があの人と出会い、交わした言葉も視線も体温も、全て無駄だったのでしょう。
今更、あの時あぁしていれば。などと馬鹿げた後悔もありません。
私は諦め諦め、固執しては「己」を塗り固めて生きているのですから。
所詮、一瞬のものだったのです。
所謂、世界の違いを思い知らせるだけの行為だったのでしょう。
困惑は私の無知と浅はかさをむき出しにするだけでした。
結局私は未だ、子供だった、というわけです。
…修行が足りません。
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