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血迷うにもほどがあるだろうに。

「君がそう言うならそれでいいと思うよ」

僕は誰より何より無気力にそう呟いた後、だけど君はそれを信じられないくらいポジティブにしか受け止めず、自分の都合のいいように僕もろとも持っていくことに我に返った。
僕はどうも忘れっぽいからいけない。
こんな投げやりな言い方、嫌味とか拒絶とか、そういった方に君は絶対に受け止めてなんてくれないんだ。
まして、こんなやり方でしか甘えられない僕のことなんて、君からしたら本当にどうでもよく興味なんか湧きもしないことを、僕はいつだってうっかり忘れてしまう。
忘れるのはほんの一瞬のことなのに、その一瞬の後我に返るともう遅い。

他の人が相手だとこうはならない。
君以外の人間に、僕がこんな風な言い方をしたら、大体の相手は僕を根暗だとか陰湿だとかやる気がないだとか判断して捨て置いてくれたりする。
もしくは、まるで父親かとつっこみたくなるくらいの大きな心で受け止め、僕を諭したり導いたりしようとしたりする。…あの人のように。

僕はつい先刻の自分の過ちが成した結果(君がやはり自分の都合のいいように受け止めご機嫌になって僕の手を掴んでいる痛い現実)を尻目に、今ここにいないあの人の横顔を思い出した。

優しい優しい、馬鹿な人だった。
僕はもしかしたら、あの人が好きだったのかもしれない。
あの人を子供じみた感情で独り占めしたかったのかもしれない。
優しい優しい、馬鹿なあの人を。
僕だけが。

「いい、って言ったよね?」

耳元、思ったよりずっと至近距離で君が嬉しそうに、楽しそうに笑った。
僕はそのことに気付いた途端ものすごく驚いて、咄嗟に「うん?」とぼそぼそ問い返したけれど、君はその僕の返事の語尾にある疑問形を無視して許可を得たとますます喜んだ。
僕は内心舌打ちをする。
君に対しては、日本人らしくあってはならない。イエスか、ノーしか通用しないことをまた僕は一瞬忘れてしまったのだ。
君だって日本人なはずなのに、どうしてこう噛み合わないのだろう。どうしてこう僕ばかりが歯噛みすることになるのだろう。どうして僕はこんなところで君と対峙しているのだろう。どうして僕の腕は君に掴まれているのだろう。どうして掴まれた腕がこんなに痛いのだろう。
どうしてどうして。

どうして今ここに、あの人がいないのだろう。

「…あぁ、」

僕はまた大切なことを一瞬忘れてしまっていたようだ。
そのことに気付き嘆く僕の内心なんて全く気付かない君が、また。自分にとって都合のいい方に受け取って嬉しげに笑みを浮かべた。
掴まれた腕はいつの間にか投げ出され、僕はそのことに少しほっとしたと同時に、もうどうでもいいや。と目を閉じた。

だってここにあの人はいない。
それだけは確かなのだから。
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こんなにも好きです。

それでもやっぱり、多少なりとも覚悟はしてきたつもりなんだ。
先が見えない状態が怖いことくらい知っていたけれど、でも、多分。
あまりに遠すぎる「先」なんて、むざむざ見ようとしなくてもいいんだと思う。
どうせどんなに目を凝らしても、どんな高性能な望遠鏡覗き込んでも見えないんだし?
それどころじゃない、「今」で精一杯、みたいな状態が、これで結構救いになったり。
…そう、だからいいんだ。

僕は、十分しあわせなんだ。
僕は、十分満たされてるんだ。
僕は、十分報われてるんだ。


そう言った僕に、君は、「まるで自分に言い聞かせるみたいに言うなよ」と笑った。
だけどね、考えてもみて。
人なんて、人の人生なんて、すべて思い込みだけでできてるようなものじゃないのか。
この目が映し、この手が触れ、この脳が判断することが、他の人たちと正しく同じかどうかなんて、どんなに科学が進んでも分からないじゃないか。
微妙な齟齬をなんとかごまかしてすり合わせる方法なら、僕ら人類が連綿と生きてきた歴史の中で発見され学習され工夫され、進歩してきた。
だから僕らは同じものを見ていると。同じものに触れていると。同じものだと判断していると「思える」。
そうして安心できるんだ。

なんだってそうだ。
しあわせだと思えば、それが他の人からしたらどんなに不幸せなことでも、しあわせだと言える。
胸を張って堂々と。心の奥底から本気で。
だから僕はいつだって自分に言い聞かせる。僕はしあわせなんだ。満たされてるんだ。報われてるんだ。これ以上何を望む?分不相応に、何を望むのか。
僕が振り撒いた善と悪。その両方は、巡り巡って結局自分に戻ってくる。それだけだ。
すべては自分の範囲内に収まる。
収まらないものなんて、自分に降りかかってなんてこない。
僕は、物語の主人公のように劇的な人生なんて送ってない。
…多分。

君は肩を揺らしてくつくつと笑った。「もう少し言葉を選べばいいのに」と。
器用だろうと不器用だろうと、それでも生きてるから何とかなるよ。
沢山の出来事はいつしか全て過去思い出になって、遠すぎて見えなかった何もかもはいつの間にか今になる。
平気だよ、何とかなるよ。と、いつだってゆったり構えていられるくらいの強い人になりたい。それだけなんだ。

言葉を選んで、言葉を探して。
確かに、自分や誰かを傷つけることがないようにするためには、上手に立ち回らないといけないこともたくさんあるけど。
完璧に誰も傷つけずにいられるなんて幻想、抱いてないけど。
それでも、できるだけ。ひとりでも多く。自分と、自分が大事だと思う人たちが、あんまり傷つかずにいてもらいたい、傷つけずにいたい。そう、…いつも思ってるよ。



(一旦停止)

たかが唯一の、

あの人は「飲み込め」と言う。
この世は「吐き出せ」と言う。

世に習い世に生きる身としても、それでも私は世よりもあの人に従おう。
だってあの人は誰より、本当に飲み込んできたのだ。
何もかも全て、上下の唇をぴったりとくっつけ、噛み締め、無理やりにでも飲み込んできたのだ。
実際にそうやって生きてきたのだ。

あの人は「上手に飲み込め」と言う。
上手に。そうすることに慣れてしまえと言う。
この世は「下手に溜め込むな」と言う。
下手に。そうすることに囚われるなと言う。

どちらが正しいかなんて知らない。
どちらが圧倒的多数の意見かは知っている。
だけど、それでも私はあの人に従おう。

その罪の身の内から這い出たこの身は、生まれる前から罪にまみれている。
今更、善悪も正誤もない。きっと。

何一つ、差し出せなかった。
それどころの騒ぎでもない。
それならせめて、たかが唯一のこの身くらい、あの人と同じように生きさせよう。
今生の私のできる限り全てでもって。

そうやって、そうやって。
そういうやり方で、あの人の罪の欠片を貰い受ける。
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