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意趣返し

ざぁざぁと。後を引くような音を立てて窓の外を流れ落ちる雨粒をぼんやり見つめていたら、なんだか急に懐かしい思い出が蘇ってきたから、僕はそのまま玄関先に誰かが忘れていった安っぽいビニル傘を引っ掴んで外へ出た。
どこ行くの。という問いかけが僕の背中をちょんちょんと叩いたような気がしたけれど、僕は完全に懐かしい思い出で頭がいっぱいだったから。一度立ち止まって振り返って答えてたら、なんだかこの衝動も思い出も有耶無耶になってしまいそうだったから、ちょっと。とだけ辛うじて言葉にして出てしまった。

日ごろはこの家を指して、なんか、どこか嘘っぽいと思っていたけれど、とりあえず嘘でもなんでも雨粒から僕を守ってだけはいてくれたようだ。
外へ出た途端、窓の内側から眺め予想していたのよりずっと強い雨脚が、すぐに僕の膝下全部をぐっしょり濡らした。
使い古したスニーカーだってすぐぐずぐずになってしまう。あぁもう駄目かもなー。買い替え時かなー。金ないんだけどなー。なんて、どこか他人事のように思う。

だけど僕はなんだか浮き足立っていた。
頭の中が思い出でいっぱいで、他に何も考えられなかったのだ。
あめあめふれふれ、なんて懐かしい歌が口をついて出る。小さく小さく。
ばしゃり。わざと水溜りを踏んづけた。ますます楽しくなって、僕はつい口端を持ち上げ、半透明のビニル越しにどんより重たい灰色をした空を見上げた。

行き先なんて本当は、分かってなんかいなかった。
だけど家でじっと待つなんてできないと思った。
だって子供の頃、今みたいな天気予報を無視した急な雨の夕方に、傘を差して迎えに来てもらうのが嬉しかったのを思い出してしまったからだ。
傘がなくて途方に暮れる友人たちが、困った顔で立ち往生していたり、思い切って飛び出し走り去っていく様を、僕は持ってきてもらった傘の下、ほんの少しだけ胸の奥に蟠る罪悪感と一緒に並んで立つ。
だけどその罪悪感に戸惑う僕の手を握ってくれるあたたかい手のひらに、僕は思い直して帰路につくのだ。

歩き慣れた帰り道。
だけど、誰かと一緒に家路につく。同じ家に帰る。たったそれだけで全然違う視界のようにも思えた。
僕は何よりそのことが嬉しかったのだ。
しあわせというものを、きちんと認識なんてできなくたって。どんなに幼い子供だったって。ただ感じ、それだけにしておけることがまさに「しあわせ」だったのだ。

だから迎えに行こうと思った。
どこにいるかなんて知らない。もしかしたらどこかのコンビニで適当にビニル傘とか買って帰ってきているかもしれない。行き違いになったかもしれない。それか、カフェとか入って優雅に雨宿りしてるかもしれない。
僕の迎えなんて全く必要ないかもしれない。望まれてなんていないかもしれない。むしろ迷惑かもしれない。ていうか、そもそも想像だにしていないだろう。
だけど迎えに行こうと思った。
思ったからには、そうするしかない。だからする。
むしろ迎えに来た僕を見て驚く顔が目に浮かぶ。ますます僕は浮き足立った。

僕は土砂降りの街を歩き回った。
すぐにぐっしょり濡れた膝下も、べしゃべしゃのスニーカーも気にならなくなって、深々と傘の中に頭を隠して背を丸め、歩く人たちの合間をすり抜け歩く。
さりげなくすれ違う人たちの顔を確認してみたり、カフェの中を覗いてみたりしながら歩く。歩く。歩いて歩いて。

むかえにきたよ。の言葉を。
昔、もらってとても嬉しかった幸福の言葉を、今度はひとり土砂降りの街に取り残されているだろう彼にあげるため。

「……なにしてる」

低い、ものすごく不機嫌そうな。だけど本当はただびっくりしてるだけだと分かる、彼の声が僕の肩先辺りに触れ、僕は中途半端に立ち止まったままの体勢で瞬きした。
傘を差しているはずなのに、ちょっと風があるからか内側まで細かな雨が入って、僕の睫の先が湿って重たくなっていた。頬も冷たい。でもぐしょぐしょの爪先が一番冷たいとやっと気づく。

寒い。とか。おなか減った。とか。そういうのって、寂しい。に似ていると僕は時々。本当に時々思う。

「迎えに来た」

僕は思い出の中から差し出された声より、ちょっとぶっきらぼうにそう言った。
だけどその言葉を口にした途端、なんだか胸っていうか腹の奥深くから急に湧き上がってきた訳の分からない感情に押し潰されそうになって、深く息を吐くついでに笑った。

「お前を迎えに来たんだよ」

僕は、今度は笑いながらもう一度言う。
そうすることで、この土砂降りの中、彼がどこにいるかも分からないのに勢いで家を出て、自分までびしょびしょになりながら彼を探したんだと。迎えに来たんだ、と実感した。
そう、僕は彼を迎えに来た。彼と一緒に帰るために。あの嘘っぽい家に一緒に。

帰ろう。と僕が言う前に、彼は僕を心底見下すようにして、馬鹿じゃないのか。と言った。
僕はそれを聞いて、いつもなら「なんだとー!」くらい思うはずなのに、なんだかほっとした。見つけた、と思ったからだ。

見つけた。見つけられた。彼を見つけることができた。
なんの目印もヒントもなしに、それでも僕は散々歩き回ってびしょびしょになって、それでも彼を見つけることができた。
コンビニのビニル傘も持っていない、カフェでお茶してるわけでもない、少し濡れたコートを着た雨宿り中の彼を見つけられた。
さほど途方に暮れているわけでもなさそうに。だけどほんの少し困っていただろう様子の彼を。

僕が差し出したもう一本のビニル傘を、彼は屋根の下から手だけ出して掴んだ。
冷え切った白いごつごつとした指が、先刻まで僕が握り締めていた簡素な傘の柄を握る。
僕も自分の傘から少し手を出したから、僕の手の上にも彼の手の上にも、はたはた、と雨粒が落ちた。
だけど彼はそんなこと全く気にしないみたいに、傘を僕の手からひったくるようにして身に引き寄せると、ばさりと音を立てて傘を広げた。
僕のと同じ、なんの変哲もない半透明のビニル傘。

僕はその様子を立ち止まった体勢のまま眺めながら、彼が僕にありがとうなんて言わないのを知っていながら、ありがとうなんて言わないでと心の中で祈った。
僕の思い出の中、僕はありがとうなんて言わなかった。迎えに来てもらってとても嬉しかったけれど、照れくさくてありがとうなんて言えなかった。
僕を迎えに来てくれた人だって、僕にありがとうを言えと強要もしなかったし、それが当然みたいに振舞っていた。それがしあわせだった。…多分。それも。
だから、

「帰ろう」

僕は、彼が何か言い出す前に、少し急いでまた言った。
彼は少し目を細めて僕を不審そうに睨んだ後、小さく頷いて僕の隣に来た。
僕より少しだけ背の高い彼を横目に見て、僕はふと我に返って湿った瞬きをした。
僕らの帰るあの家を、僕らの住むあの家を、僕はなんで嘘っぽいと思ったのか分かった気がしたのだ。

あの家には、「ほんとう」なんてひとつもない。色々なものの寄せ集め。
だけどそのことで不具合が出てくるほど歪でもなく、だけど一般的な価値観に溶け込むほど自然でもない。
「しあわせ」はそこここにいくつもいくつも、数え切れないくらい転がっているはずなのに、どこにも「ほんとう」は見つけられない。
ぽい、じゃなくて、本当の嘘。

きゅ、と胸の奥が小さな音を立てたような気がしたけれど、ざぁざぁと降り続ける雨音に簡単に紛れて有耶無耶になってしまったから、もしかしたら気のせいだったのかもしれない。
だってそれでもなんだか、僕はしあわせだったのだ。

僕の頭の中にある脳みその皴のひとつひとつ。その隙間をすり抜けるようにして通っていくいつものあの音も、今は僕にも、彼にも、届かないといい。
今くらい、雨音だけを頼りに、家路についたって。そこら辺に転がっているはずのしあわせっぽいものをひとつ拾ってみるふりをしたっていいじゃないか。
いいって言って。言わせてて。

気づいたら、彼を見つける直前まで僕の頭の中をいっぱいにしていた懐かしい思い出が、土砂降りの雨に洗い流されてどこかへ行ってしまっていた。
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