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懐かしい夢

抜け切った、と思っていいのだろうか。
それとも単に完全に忘れてしまっただけなのだろうか。

答えなんて本当はどちらでもいいんだろうけど、時々無性に、具体案をほしがる癖はまだ抜けていない。

今から10年ほど前に見た夢を、ふと思い出した。



10年前の私は夢を見ている。
夢の中で私は、男だった。
私だった男は若い桜の樹の根元をスコップで掘っている。
桜は樹齢15~20年といったところ。幹はつやつやとしていて、触ると手のひらにほどよく馴染んだ。
真夜中だ。
月明かりだけを頼りに、男は桜の根元を掘っている。
ひたすら、ひたすら。できるだけ深く。
暗い暗い夜の闇の中。月明かりだけでははっきりとは見えない。
風が時折咲き乱れる桜の花びらや枝をさわさわと撫でるだけで、自分の荒い呼吸音しか聞こえない。
あとは、うるさいくらいの心臓の鼓動。
桜の根が絡みつく硬い土を掘って掘って掘って、これ以上ないくらい掘ってから、背後に無造作に転がしていたものを振り返る。
使い古したシーツでは可哀想だと思った。
それはあまりに美しかったから、せめてその全てをくるむなら新品の、糊の利いた最高の状態のシーツでなければと。
だけどここまで運んでくる過程や、やむおえず地べたに横たえたこと、掘ることに夢中になりすぎて散った土の破片でそれは汚れてしまった。

…あぁ、

男は溜め息をつく。
つぅとこめかみを汗が流れ落ちていったけれど、暑いわけではなかった。
むしろ冷たい。
桜が咲き誇る春の夜はまだ、風も冷たい。
男は全てをシーツでくるまれたそれを慎重に、大切に抱き上げて、掘り下げた深い深い、もう月明かりでは底も見えないくらい深い穴に。
だけど無造作に放り込んだ。

どさり、

地に落ちた鈍く重たい音と、崩れた土が落ちるぱらぱら細かな音。
男はそれを目視で確認することなく、そばにつきたてたスコップでもってまた穴を埋める。
ばさばさ、どさ、もそもそ、音がする。
時折風が桜の花びらや枝をさわさわ撫でるだけで、あとは自分の荒い呼吸音と鼓動しか聞こえない。
まるで耳の奥に膜が張ってしまったかのように。
私だった男は穴を埋める。
ついさっきまでひたすらに掘っていた穴を埋める。
埋めて埋めて埋めて、完全に平らになるまで埋めて、足でならす。ぎゅうぎゅうと硬く。誰にも掘り出されてしまわぬように。
そして全てが終わった後、男はそこへ寝そべり、頬を預けて目を閉じた。
深い深い、溜め息をついて目を閉じた。
達成感と快感、安堵感、愛しさと離別の名残惜しさ、寂しさ、悲しみ。そういった感情が溜め息を深くした。
男は目を閉じたまま、土に頬を預け地中に埋まったそれの音を聞こうと耳を澄ますけれど、今度は風の音はおろか、自分の呼吸音も心音も聞こえなかった。
まるで鼓膜ごと地中に埋めてしまったかのように。

さよなら。

男は声には出さずにそっと呟いた。




----


10年前の私は夢を見ている。
夢の中で私は、男だった。
私だった男は桜の老木の根元をスコップで掘っている。
桜は樹齢100~150年といったところ。幹はごつごつとしていて、触るとあまりに手に余る。
真夜中だ。
月明かりだけを頼りに、男は桜の根元を掘っている。
ひたすら、ひたすら。見つかるまで深く。
暗い暗い夜の闇の中。月明かりだけでははっきりとは見えない。
風が時折咲き乱れる桜の花びらや枝をさわさわと撫でるだけで、自分の荒い呼吸音しか聞こえない。
あとは、うるさいくらいの心臓の鼓動。
桜の根が絡みつく硬い土を掘りながら、随分と念入りに深くしたものだと自分を笑い、それからスコップを捨てて手で掻いた。
硬い土は爪の間に食い込み、ひび割れ、剥がれる痛みも忘れ掘った。
見つかるまで。見つかるまで。見つかるまで。
男の脳裏に巡り巡るは似たような、だけど絶対的に時代の違う情景。
同じことの繰り返しだ、と男はひとり声に出さずにごちて笑う。

…あぁ、

男は溜め息をつく。
つぅとこめかみを汗が流れ落ちていったけれど、暑いわけではなかった。
むしろ冷たい。
桜が咲き誇る春の夜はまだ、風も冷たい。
男は掘り下げたそこにやっと見つけたそれをぞんざいに、乱暴に鷲掴んで、掘り下げた深い深い、もう月明かりでは底も見えないくらい深い穴から。
だけど優しく拾い上げた。

はらり、

手のひらから儚く崩れ落ちる脆いそれに頬を寄せ、目を閉じる。
何度目だろうと思いながらそれでもいつもいつも、初めてのことのように心震わせながら溜め息をついた。
達成感と快感、安堵感、愛しさと再会と輪廻の実感、感動、喜び、虚しさ。そういった感情が溜め息を深くした。
男は目を閉じたまま、粉々になってしまった欠片に頬を寄せそれの音を聞こうと耳を澄ますけれど、今度は風の音はおろか、自分の呼吸音も心音も聞こえなかった。
まるで鼓膜ごと桜の樹の養分になってしまったかのように。

あぁ、…あぁ。
やっとまた会えた。

男は今度は小さく小さく声に出して言った。
その自分が発した声だけは、恐ろしいほど無音の世界にしみじみと響き渡り、あぁ、まただもう一度だと男は思って泣いた。
喜びとも悲しみともつかない、だけどどちらでもある、どうしようもなさに泣いた。
ひたすらに、ひたすらに。

桜の樹齢ばかりが増していく。
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逆説もありです

全部見通せるからと言って、必ず安心感を得られるとは限らない。

時々、分からないままにしておいた方がほっとすることもある。

中途半端なまんまで蓋をして、封をして。

いつかどうしても開かなければならなくなるその日まで、生ぬるい安心感を堪能するもひとつの手かもしれない。

ツー・ステップ

ただのお飾りであり続けるためにできることをわざとしなかったのは、単に別所でまで「ただのお飾り」でいたくなかったからだ。
そうあることが例えどれほど楽で安全だと知っていても尚。

理由なんていつだってあっけないほど単純明快。
もしくは、そもそも理由なんていらなかったのかもしれない。
いちいち小難しいことなんて考えていられない。

底なしなのはもはや人の業。
なら、それをあえて内包していることを自覚したまま、飾れもしない何かになるしかない。

彩色

まず最初に、真っ赤だ。と思った。
真っ赤だ。真紅だ。これぞまさしく業火なのだと。

めりめりと音を立てて建物が崩れてくる中、真っ赤な世界にもうもうと黒煙が混ざる。
あぁ、もう吸える酸素はどこにもない。きっと炎が全て使ってしまった。
僅かな残りすらそんなに時間も費やさずに燃やし尽くしてしまうだろう。
そうなれば後は眠るだけだ。幸い、ここなら寒さに凍える心配などない。と胸に抱いた縫ぐるみもろとも、様々な破片や煤で汚れた床に頬を預けようとした刹那だった。

大きな手が二の腕を乱暴に鷲掴み、私の身体は宙に浮いた。

黒煙と真紅の合間をすり抜けるようにして、めまぐるしいスピードで景色が変わった。
ふつりと業火から抜け出た瞬間、今まで諦めていた肺が急激に酸素を取り込んだせいで胸が軋むように痛んだ。
しかし暢気に咳き込む暇もなかった。
私の腕を掴んだ手は、離れるどころか力を抜いてはくれなかったのだ。

『どうせ逃げるなら、遠くへ行こう』

聞いたことがあるような、ないような。耳からというより脳に直接響くような声が、妙に真剣に。思いつめたような。だけど慈愛に満ちた優しい雰囲気で聞こえた。
逃げる。逃げるとは。私は逃げようなどと思っていなかった。一体私はどこから逃げようとしているのか。
どこへ行こうとしているのか。
遠くとは。

胸に煤けた縫ぐるみを抱いたまま、腕に引かれるがまま走らされた。
あまりの速さに足がもつれ何度も転びそうになったが、暢気に転ぶこともできなかった。
猛スピードで景色が変わる。
もうどこにも真紅はなかった。黒煙も。
赤はどこ。きょろきょろしても、背後を振り返っても、もうどこにも見つけられなかった。

ひたすら走っていた。鷲掴まれた腕を強い力で引っ張られ続けて、延々走り続けた。
桜の老木から薄紅の花弁がまるで霧雨のように舞い降る最中も、薄暗い細道の脇にある排水路の金網の上も、水中のようなどこまでも曖昧な世界も、目の前に迫ったかと思ったらすぐに背後にいってしまった。
ここはどこ。これほどまでに急いで向かう場所はどこ。
私もろとも飲み込もうとしたあの圧倒的な真紅は一体どこに。
暢気に質問をする余裕などいつまで経っても見つからなかった。

『走って』

声は時折、今十分走っているというのに急かすように。だけどやはりどこか慈愛に満ちた優しい雰囲気で脳に響いた。
これ以上走れなんて無理だ。今十分走っているのに、まだ尚というのか。
一体どれほど急げば間に合うのか。どれだけ走れば辿り付けるのか。
どこに。どこから。どうやって。

『走って』

何度目かの声の直後、二の腕を掴んでいた手が離れ、私の背中を強く前に押した。
促すように、というよりは、殆ど突き飛ばす勢いだった。
もうこれ以上走れないと思しき限界をとうに超えていた私は、指示のまま。押されるがまま走った。
背後、パン、ともドン、ともつかない爆発音がした。
その爆風で前のめりに転んでしまい、そのまま酷い摩擦音を立てて滑り、壁にぶつかって止まった。
密閉された中での火災の際、消火のためにドアや窓を破ることによって、急激に酸素が炎に取り込まれ激しく爆発することをバックドラフト現象というのではなかったか。
そう思った刹那、あぁ、もしかしたら真紅はまだ私のずっと近くにあり続けたのかもしれないと思った。
あれほど走り続けても。どれほど遠のいたと思っても。
目に。見えなくても。

だって私はどれほど猛スピードで風を切って走っていても、寒さに凍えることなど一度もなかったのだから。

吹き飛ばされたせいであちこち擦り剥いたりぶつけたりしたけれど、強く押された感触がいつまで経っても背中から消えず、瞼の裏をちらちらと染める業火の気配もそのままだったので、ぼろぼろの縫ぐるみをしっかと抱きなおしまた走った。
今度は腕を掴んで引っ張る者などいなかったけれど、あの人はいつまで経ってもその存在感だけ私のうなじ辺りに絶対的にあった。

どこへ向かっているのかは自分でも分からないままだ。
炎の中眠ろうとした私の腕を掴み走った人が誰だったのかも分からない。
ただ、腕にぎゅうと抱きしめたぼろぼろの縫ぐるみは、確か薄いブラウンの熊だったような気がする。

手を掴むまでの長い諮詢

これ以上ないくらいめまぐるしく溢れるありとあらゆる出来事に思考が着いていけずに混乱し、無様に尻餅をついてへたり込んだ俺の眼前、差し伸べられた手を掴むには、多大なる勇気と名目が必要だと思った。
その差し伸べられた手が武者震いか凍えか小刻みに痙攣しているのが見て取れたなら余計に。

今現在、俺の目に映って見えるものだけが全てではない。
この目では見透かせなかったり、見えてるはずなのに見つけられない真実だって沢山あることくらい、俺にだって分かっている。
だけどそれでも、

「…信じたいものがあるんだ」

俺は目の前、差し出されたまま俺に握られることなく、それでも何かに(僅かな可能性に?)縋るように存在し続ける手のひらを見つめながら、心の奥底から真剣に言った。
そのことで、俺がその手を握ることはないと。
少なくとも今、その手を取ることはできないと。その手に正しく意思表示できただろうか。
きちんと伝わっただろうか。

俺は、目の前に差し出されたままだった手が、様々なものを諦めて引っ込められる瞬間なんて見たくもないから俯いた。
俺が見ていない間にならその手だって引っ込めやすいだろうしと。
一呼吸、深さを意識してから顔をあげようとしたら、同じタイミングで深呼吸の気配が頭上からした。

「…俺にも、信じたいものがある」

降り落ちたその声が思ったよりもっとずっと力強く凛として聞こえたから、俺は驚いて顔をあげる。
そこには、もうとっくに諦めがついただろうと思っていた手のひらがまだそこにあった。
何かに縋るように見えていた小刻みな痙攣は、高揚や怯えからくるものではないことだけは分かった。
寒いのか、と聞きそうになって、それは愚問だと気づいて慌てて飲み込む。
迷っているのではないのか、と聞きそうになって、それもまた愚問なのだと唇を噛んだ。
それは、愚問というよりも、自問なのかもしれないと、

「…馬鹿言え」

一瞬踏み入れそうになった思考を即座に言葉で叩きのめす。
裾を掴んで引き止める余裕も、声を出して呼び止める余裕もなかったから、乱暴に地に殴り伏せるしかなかったのだ。
焦燥に駆られ考えるより先にそうした俺の矮小な横暴さに、彼は多分気づいていない。
彼は多分、俺がどれほど内心彼に揺さぶられているか知らないのだ。
彼はただ、俺が口走った言葉としかめた顔色だけを素直に受け取り、苦く。どこまでも苦く苦く顔を歪めた。
今にも泣き出しそうに。
その顔を見て俺は舌打ちをする。

なんてことだ。俺はこうして何度も何度も何度も、

…何度も?




----


「…で、お前は結局また、その手を掴み損ねたというわけか」

目の前、全てを見透かすように。かつ、見飽きたかのように辟易とした溜め息をつく相手を睨み付ける。
なんでこいつは全て知っているような顔ができる。いつでもそうだ。
知ったような口を利くなと毒づいても、そいつの顔色は変わらない。
それもまたいつものことなのだけれど。
またとはなんだ、また、とは。こんな事態に陥ったのはあの時が最初で最後だ。苛々とテーブルを爪先で叩く俺の眼前、そいつはすぅと目を細め、なるほどな。と呟いた。

「何が『なるほど』なんだ」

「分かったんだ。次は、迷わずその手を掴め」

「次?次などともうない」

「あるさ。…否、ない方がいいのだろうか。…でも多分、ある」

そいつはまるで、あの時。
俺に手を差し伸べ引っ込めようとしなかった彼を俺の記憶から透かし見るようにして。彼と同じ苦い、苦い苦い苦い、微かな笑みを浮かべた。
今にも泣き出しそうな、だけど決して俺の前でなんて泣かないだろうそいつの両目の奥。小さな火花のようにちかちかと瞬いた景色は、未来か。過去か。
それとも、「今」とは違う現在か。

…あぁ。
俺は、こうして何度も何度も何度も何度も。

「…信じたいものが、…あるんだ」

苦々しく口にした俺に、そいつまでもが。

「俺にも信じたいものがある」

これ以上ないくらい脳裏反芻し続けたせいで聞き飽きてしまった言葉を吐いた。

無限回廊の真っ只中で

すぅわり、風が吹いた。
それは突風というよりそよ風に近い、だけど奇妙な緊張感を孕んだ空気の流れだった。

忘れてないよ。
ちゃんと覚えているから。

そう口にしそうになって、誰に対してそんな言葉を口走ろうとしたのか自分でも分からず驚き、立ち止まって振り返ってしまった。
そこには先刻すれ違った見知らぬ男。
彼もまた、僕らの間に吹いた奇妙なそよ風に戸惑ったのか、立ち止まり、肩越しこちらを振り返っていた。
けれどすぐに視線を元に戻し歩いて行ってしまう。
…気のせいだろうか。
僕も思い直して歩き出す。

何を覚えているというのだ。
何を忘れていないのだ。
誰にそれを伝えようとしたのだ、僕は。

今。

すぅわり、風が吹いた。
それは突風というよりそよ風に近い、だけど奇妙な懐かしさを孕んだ空気の流れだった。

やっとまた会えたね。
良かった、とても会いたかった。

そう口にしそうになって、誰に対してそんな言葉を口走ろうとしたのかやっぱり自分でも分からず戸惑い、また立ち止まって振り返る。
そこには先刻僕と一瞬だけ見詰め合った見知らぬ男。
彼もまた、僕らの間に気まぐれに吹き抜ける奇妙なそよ風に僅かに眉間に皴を寄せ不思議がる様子。
けれど先刻よりほんの少し長く見詰め合った後、また背を向け行ってしまった。
…気のせい、なのだろうか。
僕は首を傾げ傾げ歩き出す。

また、とはどういうことだ。
何故そんなことを思うのか。
誰にそんなに会いたがっていたのだ、僕は。

今。

すぅわり、一陣の風が吹く。
初めて見る情景、初めて体験する状況、初めて知る世界が、酷く懐かしいのは何故だ。
何故こんなにも全てがいとおしいのだ。
なのに何故こんなにも悲しいのだ。虚しいのだ。悔しいのだ。
恋しいのだ。
何故。

誰。あなたは誰だ。
何故僕は会ったこともない、頼りなく揺らめく曖昧な影を知っているのだ。その手のぬくもりや、纏う気配や、瞳の虹彩や、匂いを知っているのだ。

その影が誰なのか分からないのに、僕はただ無性に。無性に。
抑えきれず、会いたかった、と小さく呟いてしまった。

言葉は簡単に裏切るから

「こっち見て」と言葉にする代わりに、君の視線をこちらに向けるためなら僕は、何でもする覚悟なのだ。
想いを声に託す以外のことなら何でも。
何だってしてやると。

口端持ち上げにたりと笑った僕に君は、深い溜め息をついた。
忘れたの?僕はますますにやにや笑う。
横目にほんの僅かこちらを見た君のその視線を、いつだって僕のものにし続けるために僕は、今までだって何でもしてきたじゃないか。

手段なんて選んでられない。
それだけ僕は真剣だということだ。
覚えておいで。
「今度」や「次」はない。
だけどきっと僕は今に君の視線を独占してみせるよ。

さぁ、始まりだ。
長い長い、気が遠くなるほど長い年月が流れた今。
待ちわびたこの瞬間から、僕と君の静かでいて何より騒がしい戦いが始まるんだ。

何のためにって、そりゃ決まってるじゃないか。
「こっち見て」なんて言わずして、君の視線をこちらに向けさせ続けるためだよ。
それだけかって?
僕にとって十分過ぎる理由なんだけどな。

雨音の中から見つけだそう

さぁさぁと雨が降り続いていたけれど、それが現実の雨音なのか、夢の中だけの幻聴なのかは判断できなかった。
ただ、この夢が覚めない限り、建物の外へ出るには傘が必要だということだけは分かった。

隠された大切なものを探さなくてはならなかった。
妬みとか僻みとか、そういった誰しも胸の内に抱いてしまうゆらゆらとした感情が大切なものを隠してしまったから、どうしたって見つけなければ帰れないと思った。
このまま、なくしたまま家路になんてつけないと思った。

騒がしい喧騒の中をすり抜けながら探し回った。
途方に暮れるほどの人いきれ。
不意に肩を叩き、二手に分かれよう、と自分の進む方向とは逆を指差したのは、誰だったか。

「あなたは関係ないのに一緒に探してくれるの」

「関係あるでしょう。それに見つからないと帰れないんでしょう」

誰かはにっこり微笑んで、自分はこっちを探すから、と言った。
するすると人ごみの中を上手にすり抜け駆けていく背中を見送りながら、ありがとうありがとうと心の中で呟いた。
ありがとうありがとう。あなたがそうやって一緒に探してくれるだけでなくしたものは慰められる。
あなたがそうやって一生懸命他人のことのために頑張ってくれるだけで、自分もきっと見つかると信じて探せる。

窓の外、振り続ける雨音が少しだけ強くなった。
建物内部の湿度がそれだけでぐっと高くなった気がして、息がし辛いと深呼吸をする。
少しずつ建物内にいる人間が家路に着き、減っていく中、それでも見つからない探し物。
時々合流してはまた二手に分かれを繰り返すたび、なかなか見つからないのに、きっと見つかる。と信じる気持ちは増していった。
ありがとうありがとう。もし見つからなくても。家路につけなくなっても。あなたがそうやって真摯に探してくれるだけで息ができる。と心の奥底から思った。

見つからない物は何だっただろう。
靴だろうか、ショールだろうか、バッグだろうか、傘だろうか。
それとも、それらよりもっとずっと大切な何かだっただろうか。

double suicide 2

お前は本当に余計なことばかりをする。
いちいち首を突っ込んで、不必要な荷物を請け負って、知らなくてもいいことまで知って、そのたび何度も傷ついて。
前ばっかり見て、人の心配ばっかりして。たまには自分の足元も確認しないと転ぶだろうに。
怪我をすればお前だって痛いだろうに。
馬鹿だ。これ以上ないくらい、今まで見てきた中で一番の愚か者だ。

どこにも行けずに立ち尽くす俺はそれでも、平気なふりして自分を棚に上げ、心の奥底から散々彼を罵る。
彼は俺の罵声にこれまたいちいち反応を示し、毎度全力で歯向かってくるからますますいけない。

「アンタには分からないんだよ」

「あぁ、分かりたくもないね。くだらない」

心底呆れ返って肩を竦めた俺に、彼は不意ににたりと笑った。
憎たらしいほど楽しげな、満ち足りた笑顔でもって、まるで俺の全部を見透かすように両目を細めて笑った。
その勝気な笑顔がゆっくりと瞬きを繰り返すのを、俺はただ呆然と見つめるしかできなかった。
だって、俺がいるのは未だ「過去」だ。
俺は俺の意思とは全く関係のない周囲の働きかけによって頓挫してしまった「過去」に縛られ、どこにも行けない。
一緒には、行けない。
お前と共に「現在」を走れない。
まして「未来」などと。
俺には途方もなく遠すぎて、透かし見ることすらできやしない。

ただ傍にあり続ければいつか分かり合えるなんて奇麗事過ぎて笑える。
俺がお前をそこから連れ出してやるだとか、大口叩くのもいい加減にしろ。現実を直視しろ。世界を知れ。
口ではそう言いつつどこかで俺は、もうこれ以上何も知らず何も見ずそのままでいてくれたらと思ってしまったりもするのだ。
自分では気づいていないのか。それほどまでにお前はすでにズタボロなんだよ。
それはもう、無残なほどに。笑いながら立っているのが不思議なくらいに。
有無を言わせず周囲全てを巻き込みながら、気が遠くなるほど連綿と続くこの頑強な鎖を引き千切るに、お前の手はあまりに繊細過ぎた。
まして、俺の自ら汚したずたずたの手でなんて不可能だ。
そしてそれを俺は、もう嫌というほど知っていた。
それだけだ。

「無理なんだよ」

ぽつり、零した俺に、彼はやはりにたりと笑う。
信じろよ。なんてあまりにあんまりな言葉を俺に紡いで見せる。
なんてひどい。あまりにむごい。
俺は衝動のまま彼の頬を両手のひらで捕まえた。
力の加減もできず掴んだ頬に指が食い込む。指の隙間、彼の柔らかな色をした髪がさわりと歪んだ。
痛いだろうに、彼は抗わず不思議そうにこちらを見つめてくる。
間近にきた彼の両目はいつだってどこまでも透き通った秋の空の色をしているから、結局目をそらし逃れてしまうのは俺の方だ。

じん、と眼球の奥が痺れるように熱を持った。
慌てて歯を食いしばる。

今。俺が、行くな。と言ったところで多分、彼は行く。
今。俺が、行かないでくれ。と言ったところで変わらないだろう。

ならせめて、最後の悪足掻きをしようじゃないか。

それでも死ぬ時は一緒だなんて言えない俺は、本願をオブラートにくるんで彼に渡す。
眼前、彼の大きく見開かれた両目はやはり、どこまでも透き通って俺の顔をまじまじと映すから。俺の、無表情を無理やり貼り付けた苦しげな顔を正しく映してしまったりするから。
俺はそれ以上の言葉を続けることもできずに歯を食いしばり、きつく目を閉じて彼の額に額を押し付けることしかできなかった。
額と額に挟まれた互いの髪がしゃらしゃらと音を立てて擦れる。
じんわりと滲むような体温と、彼の匂い。
息を呑むような、だけど次の瞬間、ふわり、緊張が解け消えていく彼の気配。

うわ、やばい泣きそう。
なんで今なんだちくしょう。なんでこんな間際に。

口惜しさと悔しさで息ができない。
ぎりりときつく奥歯を噛み合わせ、掴んだ頬をそっと。できるだけそっと離した。
言葉にできない感情が渦を巻いて胸の奥深くから溢れ、それを零してしまわぬよう唇ときっちりと閉じる。出口をなくした濁流は激しく蠢き、そのせいで熱を持って頭蓋骨の中を暴れ狂った。

「…もういいから。行けよ」

なんとか押さえ込みやっとそう言えたのは、もう彼が俺の前から走り出した後だった。
多分、届いていないだろう。

お前は本当に余計なことばかりをする。
そのせいで俺まで余計なことをしてしまったじゃないか。慈悲とか同情とか、そんなものとは程遠い、だけど自分でも何なのかよく分からない感情そのままに、本願を。オブラートに包んで。
どちらにせよ結果は変わらないというのに。
信じろよ。だなんて馬鹿馬鹿しい。
今更だろうに。

俺は先刻彼の小指に絡ませた感触残る己の小指を一瞥した後、改めて無表情を顔面に貼り付け空を仰ぐ。
そこにはもう、とっくに秋を通り冬を越え、春を目前にした鮮やかな色が広がっていた。
だから、せめてさよならは言わずにおいた。

double suicide

僕は落ち着きなく走り続ける足を急激に止め、勢いそのまま背後を振り返った。
無意識急き過ぎていたらしい。あの場所に立ち尽くす君の横顔が思ったよりずっと遠くにあることにひやりとする。

君の元から僕が駆け出したのは一体どのくらい前だっただろうか。
ものの10秒でこんなに酷く距離が開いてしまうことなんてあるのだろうか。
それとも、もう1分は経っている?
もしかして一時間経っていてまだここなのだろうか。
僕は時間が流れていく感覚すら麻痺して小さく震えた。
いきなり走ることをやめた両足の筋肉はまだ走り続けているみたいに緊張しっぱなしで、気を抜いたらまた前へ駆け出してしまいそうだ。

いつの間にか小さくなってしまった君の無表情に空を見上げる横顔は、一体どのくらい前まで僕の隣にあったのだろう。
踵を返してどのくらい走れば、僕らは元の距離に戻れるのだろうか。
ものの10秒でいとも簡単に埋められてしまうのだろうか。
それとも、1分は要するのだろうか。
もしかして1時間かけてもまだ到達できないのだろうか。
僕は君との距離感を測ることもできずに途方に暮れる。

気を抜けばまた走り出しそうになる両足の筋肉を抑えつけながら、僕は君と交わしたたったひとつの約束を想った。
その約束が無事昇華される日は来るのだろうか。
その約束が無残に引き裂かれる日は来るのだろうか。

「…ね、聞こえる?」

僕は無理やり止めていた呼吸を再開させた途端噎せそうになるのを必死で耐え、そのせいで発した自分でも驚くほど、思ったよりずっと切実な声色で君を呼んだ。
だけど君は相変わらず無表情のまま空を見るともなしに見上げるだけで、こちらを横目にも見ようともしなかった。
その見慣れすぎた横顔が、あまりに小さく遠くあることに僕は改めてショックを受け、これほど離れてしまえば僕の声なんて君にちっとも届かないのだと思い知った。

僕らの間に時間が経てば、距離が開く。
僕らの間の距離が開けば、時間はずれる。

「いつか、なんて当てもない約束、僕らはきっと守れない。だったら今がいい。今、約束果たそうよ。それができないなら、今ここで約束破ろうよ」

僕は何故か無性に泣きたくなった。
別に悲しいとか悔しいとか、まして嬉しいとか思わないのに。
ただ、この瞬間君と交わした約束を昇華させたいと思ってしまっただけだ。
ただ、それが叶わぬというならいっそ今ここで完膚なきまでに壊してしまいたいと思っただけだ。
何故か自分でもよく分からないけど、無性に焦るんだ。嫌な予感ばっかり募ってくんだ。
まるで、まるでそう、もう二度と君と会えなくなるみたいな。そんな気がして、それを打ち消そうとするたび不安が増すんだ。
悲しいとか悔しいとか、まして嬉しいとか、そういう感情全部飛び越えて無性に泣きたくなるんだ。
ついさっきまでそんなの全然思わなかったのに。

どうしてだろう。どうしてだろう。
どうして僕は今、こんなに泣きそうになっているんだろう。
どうして僕は今、こんなにも君と交わした約束に固執しているのだろう。

果たすことも破ることもできないとわかっている。
もうすでに僕と君の間にはこんなにも距離が生じ、時間がずれてしまった。
だけど、

「だけど今すぐ、……」

君はただぼぅと空を見上げ続ける。
その小さな横顔に、僕は思いの丈をぶつけることもできず、踵を返すこともできずに多分、また走り出してしまうのだろう。
僕の両足はどんなに抑えつけてもやはり前へ走り出そうとしている。

あぁ、今ならまだ叶えられるかもしれないのに。
あぁ、今ならまだ破り捨てられるかもしれないのに。なんて。
どちらにせよもう手遅れなのに性懲りもなく。

ふつり、途切れたのは、多分。
僕という存在でも、君という存在でもなく、僕と君が交わした唯一の約束事の、息吹。

「…先に、いって、…待ってるから」

僕は遂行することも破り捨てることもせずして息絶えた約束の、最期の一息を想って歯を食いしばった。
同時になんて。一緒になんて叶わないと、君は知ってて僕と約束してくれたんだね。
こうなることを知っていて、それでも僕の小指に小指を絡ませてくれたんだね。
次の瞬間、僕が走り出すしかなくなると。君はそこに立ち尽くすしかなくなると知っていて。
…知っていて。

僕は全てを承知の上で、それでも約束を口にしてくれた君のその、気持ちを。
押し付けてくれた額の確かな体温を。絡めてくれた小指の誠実さを。苦しげに歪められた真摯な瞳の色を。
全部ひっくるめて持ったまま、先にいく。



『いつか、…もしもの時がきたら、その時は一緒にいこう』


それはまるで、互いを強く想い合う恋人同士が示し合わせて共に命を絶つ、心中の約束のように。
口にするだけでも、耳にするだけでも、僕らの理性どころか意識もろとも全て乱暴に奪い去る魅惑的な言霊でした。
今まで生きてきた中で一番の、何ものにも代え難い、愛しくも短命な幸福でした。
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