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いつか終わってくれるといい。

まるで堕ちるように蝕まれていく。とどこか他人事のように思う。
じっと息を殺して眺めていても、その侵食のスピードはあまりにゆっくりしたものだから分かり辛い。
まるでじりじりと嬲り殺されるみたいだ。
残酷さが増す気がする。
下手に残りの猶予を計ろうと思考を働かせる暇があるから困るのだ。
いっそ抗う余裕なく一息に飲み込んでくれたらいいのに。
このままじゃ果てがないみたいで嫌だ。
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うそからでたまこと

ただ静かな凪のような平穏な日々を求めていただけだ。なんて言ったらあなたはきっと、ふわりと笑うのだろう。
「嘘つき」と、その言葉裏腹優しくあたたかい声色で、笑って言うのだろう。

背中合わせにあなたのぬくもりを感じることくらいはできるけれど、これ以上ないほどぴたりとくっついたとしても、互いの間着ている衣類と皮膚が邪魔をする。纏う血肉が邪魔をする。
軽くぶつけた後頭部と後頭部すら、しゃらしゃらと擦れる髪と、硬い頭蓋骨の存在が僕らの間に立ちはだかるよう。
そこまで思った途端、僕は一体どれほどあなたに近づければ安心できるのか分からなくなる。
急激にどうしていいのか。どころか、どうしたいのかすら分からなくなってしまう。

そんな時僕はひたすら。
ひたすらにあの子が羨ましいと歯噛みしそうになるのだ。

それも嘘だと笑ってくれないだろうかと僕はひっそり期待するのだけれど、あなたは何も言わずにただ微笑むだけで、こんな時に限って僕が求める言葉を口になどしてくれなかった。

どうして僕らは別々の身体を持って生まれてしまったのだろう。
別々の身体を持ち、別々の心を持つからこそこれほどまでに焦がれるのだと理解しているはずなのに、僕は何度も心の奥底からそう疑問に思い、対象も分からず激しく悔やんで爪を噛む。
本当に本当に。
なのにあなたはそういう時に限って、僕に「嘘つき」と言葉裏腹酷く柔らかく穏やかな声色で、言って笑った。

天使か、それとも悪魔の類か。

まるで誰より余裕という名の衣に全身をくるみ守られているようだとどこか冷静に思う。
その稚拙さに似合わなぬ緩やかさと滑らかさで伸ばされた指先は、穢れを知らないようで恐ろしく狡猾だ。
それに一度でも捕まってしまったら、僕が積み重ねて作り上げてきたもの全てが容赦なく突き崩されるような気がして、僕はひくりと僅かに顎を引くことで逃れた。
眼前、僕が引いたことに気づいたのだろう、伸ばされる手が途中で止まる。
だけど元々予想してたのか傷つく素振りもなく薄い唇の端が持ち上がり、大きな瞳がゆるりと細まった。
獲物に焦点を引き絞る猫のように無邪気に、どこまでも残酷に。

…子供は怖い、とふと思う。

妙に生々しい剥き出しの本能が見え隠れ。そうして自分の欲求をさらけ出すことでこちらの抑制すら外そうとする。
そのくせまだ様々な知識や経験がない分眼球も曇ってないから、大人がひた隠しにしようとしたものから見透かしていく。
好奇心の塊なのだ。いい意味でも、悪い意味でも。
我慢という抑制の壁なんてない。だから中途半端な大人は簡単に追い詰められる。

…僕のように。

今更軽薄さを装うとしたって無駄だ。
だからって冷静沈着さを建前にしたって変わらない。
僕はあまりに至近距離にある生き生きとした、恐ろしいほどの集中力でどんどん透明度を高める両目から眼をそらす最後の悪足掻き。

「幼いということは、それだけで罪だ」

眉間に皴を寄せ、できるだけ忌まわしいことのように僕は呟くけれど。

「その罪を作り上げるのは大人だ」

天使か悪魔かすらも区別のつかない不可思議な存在が、無垢でありどこまでも爛れた笑みを滲ませ、余裕という名の衣の一欠すらいつのまにかなくした僕の肩に爪を立てるだけだった。

何度だって

たったひとつの欲しいものが手に入らないのなら、この切実な願いが叶わないのなら、最初から中途半端な自由も意思も、この命すらもいらなかったのに、なんて。
どこまでも子供地味た言い訳が唇の先から零れ落ちそうになって、必死で噛み付き引き止めた。

『過程を愛するべきだよ』

あなたがそう言ってどこまでも優しく儚く微笑んだりするから。
そんな台詞僕なんかに押し付けてきたりするから。
本当は、手に入れられないことを。叶わないことを誰より悲しんでいるのは僕ではなく、あなただということが身にしみてしまうではないか。

「なんて酷い。あなたは何においてもぬるすぎる」

僕はあなたを臆病者と口汚く罵ることもできずに小さく呟く。
僕にはあなたが作り上げる穏やかで寂しい静けさを、どこまでも無神経に自分勝手に蹴散らすことなんてできないからだ。
残念ながら、僕はもうそんなことが平気でできるほど無垢でもないし強くもない。
しかしその小さな呟きすらその耳に受け止めあなたはますます。今にも夢か幻のように掻き消えてしまいそうな薄く儚い微笑みを滲ませた。

『確かに君に比べたら僕なんてぬるい。だけど君は僕にとってあまりに。あまりに熱い。その灼熱に今にも焦がされ、僕なんてあっという間に灰の欠片になってしまいそうだ。そのことを僕がどんなに恐れているか、君は知らないの?』

なんて酷い。僕はもう一度呟く。
消し炭になりそうなほど焦がれているのは僕の方だと言うのに。
悲しみは譲れても、他の何を譲れても、こればかりは譲れなのだ。
言葉ごと噛み締めていた唇が熱を伴ってじんじんと痛むけれど、僕はそこに突き立てた歯を開放する気なんてなかった。
このまま、噛み切ってしまえばいいのだ。
そうしたらきっとあなたは慌ててくれる。そうしたらきっとあなたのその、どこまでも不安定で寂しい儚さも、もう少し現実(リアル)に戻ってきてくれる。

僕にとっての現実から、あなたはいつの間にそんなに遠く離れてしまったの。

『…      』

僕を呼ぶあなたの声が、ほんの少し困惑に歪んだ。
だけどまるで僕の名を呼ぶその声が、駄々をこねる子供を宥めるようにして僕の耳を撫でるから、僕は行き場もなくただあなたの膝の上から遠ざかることもできずに身を竦める。
心の器と器だけがこんなに近くにあったって、心そのものが寄り添えないなら同じこと。

どうしたら。
どうしたらあなたをここまで引きずり出せる?
諦めてよ諦めてよ。そのためなら、僕はなんだってするのに。
この忌々しい唇を噛み切ればいいなら今すぐする。何が気に入らない?言ってくれれば今すぐ排除してみせるのに。
何があなたをそこに釘付けにする?あなたを打ち付け動きを封じる杭を引き抜けるなら、あなたが綺麗だと慈しんでくれたこの手が傷ついてしまったとしても、僕はなんてことないのに。
大声で喚き散らし暴れればいいの。その肩に爪を食い込ませ血を吐くように叫べばいいの。
何を引き換えにすれば手に入れられるというの。
何を犠牲にすればこの願いが叶うというの。
今すぐ教えてよ。もう引き返せないのだから。

ただ、何度でも何度でも。
僕はあなたをこちら側へ引き寄せようと呼ぶ。
例えそれがあなたと僕の致命傷となると知っていても、何度でも。

僕にリアルを頂戴。
生々しく息づく生物然とした、あなたを丸ごと頂戴よ。
ぬるいその温度ごと、僕の灼熱で燃やし尽くしてあげるから。
僕と一緒に灰になってよ。

嫌いなものに会いに行こう

嫌いなものは何。と聞かれたら、僕は迷わず「夜の海」と答える。
人には様々な「嫌いなもの」があるけれど、大概この質問の答えには「人参」だの「セロリ」だの食べ物の名称が挙げられることが多い。
だけど僕は生憎食べ物で嫌いなものなんてない。何でも食べるくちなのだ。
好き嫌いはよくないよ。大きくなれないよ。子供の頃耳にタコができそうなくらい言い聞かされてきた。
僕は子供の頃から比較的素直になんでも信じてしまう方だったから、そうか、よくないんだ。大きくなれなんだ。とそのまままるっと受け入れてしまったのだ。
そのことを話すと、どこか僕を馬鹿にするように目を細めた彼が、お前本当に単純馬鹿だな。と鼻を鳴らした。
僕は足を投げ出し座った彼の隣、膝を抱え、うるさいな、と言葉だけ反抗しておいた。
なんでこんなとこでリラックスできるんだろう彼は。
百歩譲って僕が単純馬鹿だとして、彼はきっと不遜な鈍感に違いない。
僕は「そろそろ帰ろう」とか「僕もう行くね」とか切り出すタイミングを逃してしまい、抱きかかえた膝頭をそっと手のひらで払った。
別にそこまで砂で汚れているわけでもないのだけれど。

僕は食べ物を始め、人にしたって何にしたって、苦手なことはあっても嫌いになることってあまりない。
存在するものには必ず理由や意味があると思うし、良かれ悪かれ何かしら影響が起こる。埃ひとつにしたって無意味なものなんてないと思っている。
それに嫌うってこれで結構カロリーがいるのだ。同じカロリーを消費するなら、好きになった方が絶対にいい。
だけど、どうしても。夜の海だけは嫌いだ、と言い切ってしまう。
別に子供の頃溺れたとかそういうトラウマがあるわけでもない。むしろ海は夏に遊んだとか、綺麗な魚がいるとか、世界中繋がってるとか、いいイメージしかない。昼間のは。
ただ、夜のだけは駄目だ。

嫌いというより、怖いのかもしれない。
夜の海はどこまでも真っ暗で何も見えないはずなのに、ひやりと静まり返った砂浜の向こう、うねうねと強大な何かが様々なものを内部に抱いて蠢いているのだけはものすごくリアルに伝わってくる。
何も見えないのに、全てが生々しいのだ。
正体も分からないのに、何に対しても絶対的なように感じるのだ。
よせてはかえしの単調な繰り返しが沢山重なって、ありえないほどの圧倒的な厚みを持ってそこにある。
静かなはずなのに酷く騒がしい。なのに僕が無意識欲してしまう意思の欠片も聞き取れない。
うねうねうねうね。漆黒の闇が蠢く。なんだってあんなに。

聞いてるのか聞いてないのかなんて確認はしない。
いっそ僕の独り言として片付けられてもかまわないと思う。
だからこそ僕はこうして、まるで他人事みたいに自分のことを口にすることができているのだ。
相手が彼で良かったと、珍しく思って内心笑った。
膝を抱いていた手を放し、後ろについて上体を傾け空を見上げる。
曇りなのだろうか。街灯もない海岸まで来たのにあまり星が見えない。その上今夜は新月だ。月明かりもない。
正真正銘の真っ暗闇だ。
なのにどうして僕は僕の隣に座っている彼が見えるのだろう。
どうして僕は、彼が憎らしいほど僕より細長い足を海側に投げ出し、後ろ手に上体を支え睨みつけるようにしてうねる海を見ていると知っているのだろう。

僕は彼と同じポーズを取り続けるのもなんだ、と身体を起こした。
手のひらに外気と変わらぬ温度を保ち続ける砂が沢山ついてきたから、軽く叩き合わせて払い落とす。
ぱらぱらと小さな音が落ちていくのは分かるけれど、そんなの目の前蠢く波音の前では些細で微弱なものだ。目でそれを確認することもできない。

「怖いのは、見透かせないから、目で知覚することができないからだ。人間はそんなに視力がいいわけでもないのに視覚に頼り過ぎている」

不意に彼が口を開いた。
その言葉は低く重く、単調さを重ね合わせることで分厚く続く潮騒の音の中で妙に浮いて僕の耳に届いた。
なのに僕は、彼の声は気を抜いたらすぐに海の中に紛れてしまいそうだと思う。思ったことに気づいた刹那、あぁ、僕はそれほどまでに彼の声ひとつにしても気配ひとつにしても、聞き逃さないよう、見逃してしまわぬよう必死になっているのだと知覚した。
そしてその事実に改めてびっくりした。

「俺が震えていた声ごと強く抱きしめてやれなかった理由と同じだ。何も分からなくて怖かったからだ。何故声を震わせるのか。そもそも何故抱きしめてやりたいと思ったのかも分からなかった」

びっくりして硬直した僕の隣、彼は先刻の僕のように淡々と他人事みたいに独白を続ける。
何のことを言っているのか分からず戸惑う僕の存在なんてちっとも見えていないかのように、彼は一息にそう言った後、ふ、と小さくため息をついた。
でも今ならなんとなく分かる。と呟いてため息をついた。
真っ暗で何も見えないのに、その存在だけはありえないほど分かる蠢く海をずっと睨みつけていた彼が、不意にこちらを向いたのが分かって、僕は彼とは逆に息を呑む。

「お前と真正面から向き合うなんてできないからだ」

僕の隣、両足を投げ出し後ろ手に上体を支えて座っていた彼が、上半身だけこちらを向けて。
何を言っているのだろう。彼は一体何を。

「…それは僕に言ってるの。僕のことなの」

僕は質問したつもりが声に感情を込めることを忘れ、棒読みな台詞でもって彼に向かい合う。
しかし彼は半身こちらを向いていたのにまた海に気を取られ、僕から顔をも背けてしまった。
そのことで、僕と彼はほんの僅かでも向かい合っていたような気がしただけで、本当は全然そんな瞬間なんてなかったのだと分かり、彼の言葉の意味を歯がゆく思う。
僕は心もとなさを埋めるため、引き寄せた膝を両腕できつく抱きしめ顔を押し付けた。

「夜の海なんて嫌いだ」

僕は呟く。
彼の返事はやっぱり、なかった。

多分、この気持ちはそうです。

多分、完全に捨て行けなかったのは「僕」の方だ。
多分、完全に「僕」だけだったんだ。

強さと弱さがこんなに肉薄したところに無造作に転がっているなんて、あの頃の僕らは全く知らずにいた。

仮定として

「大人気ないよね」

僕は心底呆れ返った溜め息を隠しもせず、どちらかというとわざとらしさまで追加して深々と吐いた。
猫背になりテーブルに行儀悪く両肘をついて、頬杖までついて。
ちくちくとマチ針みたいな微妙さを意識した視線で彼の横顔を刺す。もちろん薄目で。
我ながらみみっちい。

しかし彼は僕のみみっちさも性根の悪さも全く気にしない。
ついでに言うなら大人気ないと呆れ非難した僕の言葉すらちゃんと聞いていない。
多分また何か(彼にとって)楽しいことを考えているのだろう。表面上は無表情を繕ってはいるが、鋭い両目の奥が笑っているのだ。
僕が目の前にいるっていうのに、僕なんて眼中にないみたい。
緩く握ったこぶしを口元に当て、もう何年も何十年も同じ場所にかかったままの、昔の有名な画家の贋作を眺めるふりして黙りこくったままだ。

目の前に退屈をもてあました僕がいるというのに。
僕は何のためにここにいると思っているの。
僕の鬱々とした粘っこい視線に、彼はいつまで経っても気づかない。

彼は本当に大人気ない。
渋い大人の男を気取っているつもりだろうが、僕から言わせれば全然気取りきれていないのだ。
すぐ熱くなるしムキになるし、空腹だ睡魔だにとことん弱い性質だし、自分が面白いと一度でも思ったら他のことなんて全く見えなくなる。僕のことさえ見なくなる。
彼がそうなるツボとやらは彼にしか分からない。もしかしたら彼自身思いもよらないきっかけでそうなる時があるのかもしれないけれど。
とにかく、彼の琴線がどんなものに震わされ、意識ごと僕から奪ってしまうのか。僕には全く予測不可能だのだ。
そうなったが最後。彼は本当にのめり込む。
僕を含め、他のことは全部放り出して日がな一日そのことばっかり考える。
彼は結果よりも過程を重視するから、そうなった時僕ら彼の周囲の人間にも多大なる迷惑がかかることも、…ままある。

「なんでもいいけど、今度は最後まできっちり責任もってやってよね。僕らを巻き込むのだけは勘弁してよ」

僕は唇を尖らせ彼の気を少しでもこちらに向けようと努力するも、無駄なことくらい学習済みだ。

「本当、大人気ないよね」

僕は頬杖をといてテーブルに突っ伏し、横目に彼を見上げる。
彼はやはり口元にこぶしを軽く当てたままのポーズで考え事をしている。
鬱々とした僕とは正反対に、妙に浮き足立った気配を滲ませて。
こうなったが最後。結局僕は餌を前に待てをされたまま放置された飼い犬のように、どこか従順に。だけど不信感丸出しの目で彼を見つめ続けるしかないのだ。
彼が今まさに目の前に僕というリアルがあることに気づくまでずっと。
その視線を大げさにごてごてと飾られた額縁に収まった贋作からこちらに取り戻すまでずっと。

降ってきたそのままごちゃ混ぜ(メモ)

こんな気分の時に、とか、こうしている時、とか、それはいつも定まっていないから説明のしようもないのが正直なところ。
ただ言えることがあるとしたら、不意に思い出すのは君のことばかりだということ。


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身体中に満ち満ちていたあなたが抜け消えた瞬間の、あのどうしようもなく儚い感覚。
いっそもろとも僕の魂まで持って行ってくれたらいいのにと僕は毎回思うのだ。


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こればかりはどうしても譲れない。
君が心の奥底から本当に笑ってくれるその時まではと。
だけどそんなの口にしたら最後だとも思う。言ったら終わる。冗談だなんて嘘でも言えない。その上、君は冗談なんて通じないから余計に性質が悪い。


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夜の帳に覆い尽くされ随分経った、あとは朝を待つばかりの暗い部屋の中で。
怖い夢をみたんだね、可哀相に。夢だよ、それは夢。
ぼうとした夕闇色の瞳に何度も何度も言い聞かせることしかできない僕は、君にとって一体どんな存在意義があるというのだろう。

アズライト

これほど、今すぐ顔が見たいと思ったことはない。

不意に、その覆い隠す鋼鉄の格子の向こう。影に隠れた深い藍色の両目に、僕はちゃんと僕として映っているのか心配になった。

恐る恐る手を伸ばす。
普段なら不機嫌そうな声色で僕の行動の真意を問うてくる。もしくは会話自体を面倒くさがって適当に諌め逃げる彼が、黙ったまま大人しくしてくれているのをいいことに、僕は手を伸ばす。
チリ、と硬い金属が触れ合う音がして、僕ははっとした。
今はどんなに願っても駄目なんだ。今は。
僕は彼にも見えないそのまま、内側でくしゃりと顔を歪めた。

「…どうした。大丈夫か」

そんな低い声が僕の伸ばした手の先から響いて、そのぶっきらぼうに僕を気遣う雰囲気とか、そういうの。僕は知らないから。そんな彼知らないから。
僕が顔を歪めたのなんて彼からも見えてないはずなのにと驚いて震えた。
チリリ、硬い金属が僕の動揺を音にした。

こんな時ほど、今すぐ顔が見たいと思うことなんてない。

彼は一体どんな顔をして僕を見ているのだろう。
その藍色の瞳に映る僕は、本当に正しく僕なのだろうか。
彼はちゃんと僕を、目の前にいる僕だけをきちんと認識してくれているのだろうか。
せめて今くらいは。僕だけを。

「好き」の反対は「嫌い」ではない。と誰かが言った。
「好き」の反対は「無関心」だと。
好きだと思う強い気持ちと嫌いだと思う強い気持ちは、相手に注ぐ熱量だけで見れば等しい。
愛情、憎悪。それら感情は表裏一体。紙一重。あまりに肉薄した場所にある。
どんな形であれ、対象を強く、激しく想うことと対になるのは、興味も持たずその存在を簡単に忘れてしまうことだ。
どうでもいい相手のことなんてすぐ忘れてしまうだろう?好きだとも嫌いだとも思わない。そこまで熱量を使う必要なんて見い出せない。

ならば。
ならば僕はきっと彼のことが好きなのだろうと思う。
我ながら短絡的な思考だとも思わなくもないけれど、彼のことをどうでもいいと思ったりしないし、彼の存在を忘れたことなんて、彼と出会ってから今まで一度もない。
願わくば彼にとっての僕もまた、そういう存在でいられたらと思う。
好きとか嫌いとか、そんなの考えたこともないし、今考えてもいまいちピンとこないけれど。
友達とか恋人とか家族とか仲間とか、人と人の繋がりを言い表わす言葉はそれなりに沢山あるけど、僕と彼の関係はそのどれにも属していない気がする。
どれも違う。ピンとこない。
だけど、だけど僕らは。

「…お前、今どんな顔してる」

ぽつりと彼が呟いた言葉に僕は、それは僕の台詞だと何故か地団駄を踏んで喚きそうになった。
その覆い隠す鋼鉄の格子の向こう。影に隠れた深い藍色の両目に、どうしたら僕はちゃんと僕として映っているか否かを確認して安心することができるのだろう。
その、冴え冴えと沈み込むような深い、深い藍色に。どうやったら僕は確かな僕を見つけることができるのだろう。

こんなに、こんなに今、今すぐ顔を見たいと思うことなんて、ない。

スプーン一杯分のオーバー・フロウ

じりじりと間合いを狭めていくような追い詰め方なんてまどろっこしいと言わんばかりに、君は俺があんなに必死で抑えつけ守りに徹した距離を、大きな。それはそれは大きな跳躍一回で軽々とぶち壊してしまった。
なんてことを。俺は呆然と呟き、だけど眼前得意げに笑う君に対して怒りとか悲しみとか、そういった負の感情をぶつける気にはなれなかった。
それどころか何の感慨も浮ばなかったのだ。
多分、本当に、俺はただただ驚きすぎて頭が真っ白になっていたのだと思う。
なんてことを。俺はもう一度呟いてみたけれど、結局その後の言葉何一つ思いつかずに黙り込んだ。

君は俺にとって、その存在そのものが「想定外」だ。

「ばーか」

君は悪戯が成功した子供のような、小憎たらしい、どこか無邪気な笑顔で言った。
ニィと歯を見せ、両目を細め。パンツのポケットに両手を突っ込んだまま背中を僅かに曲げ、俺を斜め下から見上げる仕草で。

あぁもう本気で絞め殺してやりたい。と俺は思った。
不意に湧き上がった衝動だ。
嬉しいなんてもってのほかだけど、別に怒ってるわけでもない。だけど行き過ぎた愛情とか憎しみとかそういった狂気がなくとも、人は突然何の前触れもなく他人に対して殺意を抱く時があるらしい。
否、その時点で何らかの狂気なのかもしれないけれど。

俺のリーチの範囲内で、君は両手をポケットに突っ込んだ無防備な姿でニヤニヤ笑う。
俺が君に対して底知れない、出どころ不明の殺意を抱いていることなんてちっとも気づかずに。
馬鹿はどっちだ。と心の中でひっそり思う。
目の前にいる人間が自分に対して激しい殺意を覚えているか否かくらい、分かってしかるべきだと思うのに。
それとも、分かっていてそうしているのだろうか。俺が殺意を完全にコントロールできるとでも思っているのだろうか。それとも殺されていいと思っているのだろうか。…馬鹿な。それは絶対にない。
君があまりに無防備だから、信じられない俺は妙に勘ぐってしまう。

君が粉々に。ぐっちゃぐちゃに。これ以上ないくらい散々壊してくれた残骸が俺たちの足元に散らばっている。
俺はその破片の徹底的なまでの細かさ、修復不可能具合をつま先で軽く踏んで確認し、なんてことを。ともう一度呟いた。
何千、何万ピースになってしまったのだろう、この破片たちは。パズルじゃないんだから。どんな強力なボンドがあったって直せない。
一度壊れたものを完全に元に戻すことなんて、時間を巻き戻さない限り絶対に無理なのだ。
そう、正しく時間を巻き戻さない限り。

そこまで考えて、俺は自分にはそんなつもりさらさらないことに気づいてまた驚いた。
俺は、もし奇跡か何かが起こせて、今すぐ君が壊す前まで時間が戻せるとしても、戻さないだろう。
戻したくないわけじゃないけれど、そこまでして元通りになりたいとも思わない。
必死で抑えつけ守りに徹してきた理由なんてなかった。理由なんていらなかったのだ。ただそうしようと思ったからそうしていただけ。守ることをやめる理由だってなかったのだから。続ける理由もまたないのと同じように。
あぁこうして俺は結局。

「…もうどうでもいいけど」

そんな無気力な言葉ひとつで君を許してしまうのだ。
怒ってたわけでもないから、許すも何もないのかもしれないけれど。

「ばーか」

俺のリーチの範囲内で、君は無防備なままもう一度笑った。
俺は底知れない、出どころ不明の、それはそれは激しい殺意衝動を抑える理由もないことを、どう君に説明したらいいのか分からずに。
君の首にどうこの指先を食い込ませるか想像して少し笑った。

君が壊した破片たちが、それぞれまたパチリパチリと爆ぜるような小さな音を立てて崩れた。
駄目押しだと思った。
一体何万、何億ピースになってしまったのだろう、この破片たちは。
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