スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大きな胡桃の樹の下で

僕は今、樹齢何十年だか分からないけどとにかく大きな胡桃の樹の上にいる。
普段僕らが活動する地上よりもっとずっと高いところにあるこの場所は、当たり前みたいに風が少し強く、その分全てを吹き飛ばすのか空気が澄んでいるような気がして気持ちがいい。
春めく季節と連動してめいっぱい芽吹いた新緑の合間、どこかに巣でもあるのだろう。小鳥がせわしなく囀りながらあっちへ行ったりこっちへ来たり。
チュイチュイ、ルルルル、
耳触りのいい細く透き通った小鳥の歌をBGMに、僕は風を楽しむ。
高い高い、枝の上。

降りられないのではない。
まだ降りたくないのだ。

だというのに、僕の居座る樹木の真下、心配そうにちらちらこちらを見上げてはうろうろ。おろおろする人物。
まるで自分が高い樹に登って降りられなくなってるみたいに、不安げな顔。
…が、僕の足下ずっと遠くにある。
はぁ。僕は深く長く溜め息をついた。

「ちょっと、邪魔しないでよ。降りたくなったら自分で降りるから。どっか行ってて。ひとりになりたいんだ」

「でも、…危ないよ」

「大丈夫だよ」

「風も強くなってきたし、落ちちゃうよ」

「大丈夫だってば」

僕が何度大丈夫だと繰り返しても、彼はちっとも安心しない。
不安げに、心配げにうろうろ。ちらちら。
鬱陶しいなぁ、と僕がぼやくのと、もう降りておいでよ、と彼が情けない笑顔で僕を呼ぶのはほぼ同時だった。



(一旦停止)
スポンサーサイト

影はいつも鮮やかな一色なのだ

いかないでいかないで。
僕が懇願すればするほど、影は遠のく。
いかないでどこにもいかないで僕を置いていかないで。
僕はひとり君を置いてふらふらと出かけるくせに、君がひとり僕を置いてふらふらと行ってしまうのはこんなにも怖い。

どこまでも自分勝手なのだ。
結局なんだかんだ言って、自分さえ良ければそれでいいのだ。
君が喜んでくれたら僕が嬉しいから。君が楽しんでくれたら僕が楽しいから。
君が悲しむと僕は悲しい。君が痛むと僕だって痛い。
結局僕は自分のために君を想う。
なのに僕はいつも、君を置いてふらりと歩き出してしまう。
そのたび君が、必死になって僕を探し出してくれてしまう。

そうか。僕は気づく。
だから今、僕の目の前、他の何も見えなくなるほどの鮮やかな色を纏った影は、僕から遠ざかろうとしているのか。

いかないでいかないで。
僕は大声を出して呼び止めようとして、声が出ないことに気づいた。
待って待って。
僕は必死で手を伸ばして君を捕まえようとして、足が動かないことにも気づいた。
その絶望感たるやない。

だけどそんなのまだマシだった。

引きつるほど精一杯伸ばした、…この指先がほんの僅かでも君に届くなら、その後千切れて落ちてしまってもいいと思うほど伸ばした指先の向こう。いつだって僕の目を、心を、全てを奪ってやまないその鮮やかな一色が、まるで海辺の砂の城のようにざらりと脆く崩れ落ちたのだ。

僕は悲鳴を上げた。
声なんて出なかったけれど、息もできなかったけれど、腹の底にありったけの力を込めて叫んだ。
言葉にもならない血を吐くような叫び。





(一旦停止)

君は嘘つき

俺は何でも知っていると君は嘯く。
俺に知らないことなど何もないと君は不遜に笑って、簡単にそういった類の性質の悪い嘘をつく。
俺は嘘なんて言っていないと君は嘯く。
俺に偽りなんて似合わないだろうと君は不敵に笑って、あっけなくそういうどうにもならない嘘をつくのだ。

仕返しに僕はいつもこう言う。
あんたは可哀想だと簡素に言う。
あんたにも知らないことがある。だけどそれはあんたが自分で気づかなければ意味がない。だから僕は言わない。
そして僕は口には出さずに心の中で言う。

あんたは「自分にも知らないことがある」ことを知らない可哀想な人だ。

この既視感は共有できないはずなのに

知っている。

俺はこれを知っている。



口に出しそうになって、唇とその奥の前歯に僅か触れた薄いグラスに我に返った。
冷たい液体と氷の欠片が、グラスの中で、まるで俺の動揺を正しく映すようにして不安定に揺れる。
つい、かちりと噛んだ。

知っている。
俺はそれを知ってる。
だけど、どうせまた俺は誤る。
どうせまた見失うんだ。
それすら知っている。

だから、

…だから?

だから諦めるのか。また同じ過ちを繰り返すのか。そ知らぬふりをしてそのまま流されるがまま?
冗談じゃない。

だけど知っている。

俺はこれを知っている。

毎度毎度同じことの繰り返し。
誰かの手のひらの上にいるこの感じ。
ここから脱出しようと足掻いて足掻いて足掻いても、気づいたら足掻くことを忘れて生きてしまう。
前もそうだった。その前も。その前もその前もその前もその前も!





(一旦停止)

本当に困っているのは僕の方だというのに。

「そんな困った顔をしないで」と僕に微笑みかける君の方が僕よりもっとずっと困り果ててるみたいな顔をしていた。
まるで駄々をこねる子供を目の前に、どのように振る舞い、どのような言葉をかければいいのか分からず途方に暮れる親のようだとすら思う。
そのくらい。君の薄く細められた瞳には隠しようもないくらい、僕に対する感情が溢れているのだ。
優しさだとか情だとか、なんと説明すればいいのか分からないけれど。
とにかくひたすら君の瞳のあたたかな色を形作る全ては僕に。惜しげもなく僕だけに注がれていることだけは分かる。
僕にだって分かるけれど。




(一旦停止)

反転・暗転

君に直接面してしまえば、例えそれがどれだけ重要なことであっても、一気に。それはそれは乱暴にもほどがあるくらい強引に、全てが「些細な事象」に摩り替わってしまう。
その、全てが反転してしまう瞬間は、その出来事のあまりの大事にも関わらず、瞬き分の刹那よりも短い時間で完了し、そして何故か無断で無理やり捲りあげられた当人に察知どころか僅かな違和感も抱かせない。
渦中の真っ只中にいる者は気づかないのだ。
全く。

僕はそれを何度か遠巻きに見てきた。
そして僕は、「僕だけはそのような結果にはならない」なんて選民意識過剰な井の中の蛙でもなかった上、自覚して尚余るほどに臆病な性格をしているから、君と直接対峙することを酷く恐れた。
避けて通れるものなら一生このまま逃げ続けたいと思ったのだ(そして僕は視界の端に立ちはだかる難題という城壁に自ら挑むことを選択し、いつか乗り越えてみせる。なんて瑞々しくも浅はかい思想も持ち合わせていなかった)。

捕まえられない

酷く至近距離から覗き込んだ両目の中央部分。
遠目では単に真っ黒に見えた君の瞳は、黒に程近い深いこげ茶の小さな円と、その周囲を一回り大きく明るい茶色の円で囲ってある状態で存在した。
ものすごく目の前に。

柔らかな粘膜を剥き出しにし続けることもできずに何度も瞬きを繰り返す臆病なそれは、普段の生活ではありえないほどの至近距離に、自分とはまた違う眼球があることに戸惑っている。
ありありと。目は口より語ることがある。ありありと。

「捕まえた」

僕は予想以上に緊張感で瞳を透き通らせる君を茶化すように、そう言ってみたけれど。
君は僕のそんな稚拙な気遣いなど無用だと瞬きひとつで跳ね返す。
連れない子。僕は心の中でひっそりと笑う。

君の眼球は艶めく白の基礎の真ん中、明るい茶色の円の中に黒に程近いこげ茶色の小さな円を抱いているだけではない。
小さな円から大きな円に向かって放射線のように美しい模様が走っている。
その規則正しい、どこか不規則な芸術作品のようなそれは、僕が知りえる言葉全てでもってどれほど賛美したところで、決してそれ相当には間に合わないのだと思った。

まるでそこにそうあることが使命かのように、完璧な円を描く中央部分。
そこから滲むように明るい茶色を侵食する放射線。
よくよく見ると少し曖昧な外周。白い基礎。
目頭と目じりの辺りに、君の体内を巡る血液の色を思わせる淡い赤。
瞬き。

ふと、君の目が泳いだ。
だけど酷く至近距離から僕が覗き込んだままだから、君の透き通る瞳には相変わらず僕の眼球しか写らない。
あまりに近すぎるせいで、今僕が覗き込んで観察しているのが正しく君の眼球なのか、君の眼球に写る僕の眼球なのか分からなくなってしまいそうだ。
そこまで考えて、はた、と我に返る。

嗚呼、

どんなに近づいても、真剣に観察しても、この両手で頬を抑え、逃げられないようにしたって。
正しく「君」を捕まえることなんて、できやしないのだ。僕には。
否、誰にも。
君自身にすら。

僕は自嘲気味に笑った。
君からほんの少しだけ顔を離して笑った。
その情けない苦い笑みは確かに鏡のような残酷さで君の美しい眼球の表に写るけれど、

「僕には君の全てがつかめないように、君にも僕の全てなんてつかめないんだね」

当たり前の事実を改めて噛み締めることの虚しさと、そのたび感じる新鮮なショックを僕はまた、味わう。
君はまた瞬きをした。
それがまるで無言の肯定のように見えた僕は、偽りだとしても、せめて君のその奇跡的なほどに美しい眼球に写る僕くらいは優しく微笑んでたらいいのにと心底願った。

裸足のままでも歩ける場所はどこ?

僕は、靴下もスニーカーも脱ぎ捨てて、足音を消したり息を殺したりしないで普通に歩ける場所を探していただけだ。
まるで怖いものなんて何もないみたいに堂々と胸を張っていると見せかけ、内心びくびくと周囲を伺いっぱなしだと疲れてしまう。
それも相当へとへとに、だ。
張り巡らせた神経はいつも過敏で、必要以上の情報をひっ捕まえては脳の中に容赦なく詰め込もうとするから、混乱してしまって大事なものを見逃す。
チャンネルを合わせるものと、弾くもの。スイッチを入れるものと、切るもの。
対象をきちんと分別しなければ。と思えば思うほど、「理想の大人」って遠いなぁなんて思ってなんだか笑えてくる。
僕は、ひやりと落ち着いた、穏やかな気持ちで丸まって眠れる場所を探しているだけだ。
裸足のままでも傷つかずに歩ける場所を。

降ってきたそのままごちゃ混ぜ(メモ)

こんな気分の時に、とか、こうしている時、とか、それはいつも定まっていないから説明のしようもないのが正直なところ。
ただ言えることがあるとしたら、不意に思い出すのは君のことばかりだということ。


----


身体中に満ち満ちていたあなたが抜け消えた瞬間の、あのどうしようもなく儚い感覚。
いっそもろとも僕の魂まで持って行ってくれたらいいのにと僕は毎回思うのだ。


----


こればかりはどうしても譲れない。
君が心の奥底から本当に笑ってくれるその時まではと。
だけどそんなの口にしたら最後だとも思う。言ったら終わる。冗談だなんて嘘でも言えない。その上、君は冗談なんて通じないから余計に性質が悪い。


----


夜の帳に覆い尽くされ随分経った、あとは朝を待つばかりの暗い部屋の中で。
怖い夢をみたんだね、可哀相に。夢だよ、それは夢。
ぼうとした夕闇色の瞳に何度も何度も言い聞かせることしかできない僕は、君にとって一体どんな存在意義があるというのだろう。

見えないから切ないのだ

いつか手にして泣きたいものは、

あなたの腕に大事に大事に抱かれるもの。

それは目に見えないもの。

だから余計にいつかこの手に抱いて、泣きたいと切望するもの。

四つ目のための断片候補

あの人からこの携帯に着信があるのはこれで二回目だ。
僕はなんとなくその物珍しさに、素早く瞬きをした。
最初はあの人の携帯の番号すら知らなかったから、一回目の時は見知らぬ番号からかかってきたと途惑ったっけ。
だけどそのまま無視することができなかったのは、マナーモードで震え続ける携帯の、いつもと同じはずなのにどうも不穏な気配を伴ったそのフォルムに前髪を引かれたような気がしたからだ。
あの人から僕の携帯に電話がかかってくる時は、非常時だけなのだろうと思う。
まだ二度目の通話すらしていないけれど、僕は無言で震え続ける携帯の、登録したまま呼び出すことのないあの人の名前を見下ろしながら何故か確信した。
このまま気づかなかったことにして逃げることも可能だったけれど、僕はやっぱりそんなこともできずに通話スイッチを押すのだろうと思う。
押せば、僕が苦労して作り上げる忙しくも平和な日常が、いとも簡単に。かつ容赦なく非日常にひっくり返されると知っていて。
あの人の名前は僕の前髪を引く。それはそれは強引なほどに。
何故かは知らない。…ふりで。
こんな時でも忘れない悪足掻きで、深くて重たい溜め息、ひとつ。

勝敗を決する時

恋愛においては、先に本気になった方が負けだと良く言うけど。
遊びにおいては、先に本気になった方が勝ちだって知ってた?

本気とか真剣さとか、そういった勝負に絡んでくる激しい感情をを格好悪いと思うのは勝手だけれど、だからってわざと手抜く方が無様に見える時だってあるんだよ。
だから僕は最初から言ってるじゃない、遊びは本気で、真剣に。って。

だけどこれが遊びかそうでないのかは、蓋を開けてみないと分からない。
先に本気になった僕の勝ちなのか負けなのか。
さぁ、開けてごらん、君の手で。
そこに無造作に転がる答えは多分、どっちにしたって君を打ちのめす。

だって勝敗は最初から決まっていたのだから。
…そうでしょう?

冷淡な思考から成す身辺整理

欲しいと。だからちょうだい。と真っ直ぐ乞われて、あぁいいよ、どうぞ。と何の躊躇もなく差し出せるものなんて実はさほど持っていない。
以前、出来る限り荷物は減らそうと思ったから、そんな簡単なものは全て捨ててしまったのだ。
それが例え世間的にとても大切なもの(高価だったり、お金でやり取りできないほど重要なもの)であったりしても、その時僕にとって不必要だと判断されたものは即座に手放してきてしまった。
あー、もうちょっと前に言ってくれてたら捨てずに残しておいたのに。と思うものは実は結構あって、僕と他のタイミングというものがそうそう簡単には噛み合わないことを思い知る。
とは言え、そんなこと今だから言えるのであって、捨てる前に「いつか欲しがるから残しておいて」なんて言われても無視して捨てるか、今持って行って、と差し出すかしてどっちにしろ手放していたのだろうけれど。

どうせするなら徹底的に。
欲しがるなら今僕が持ってる全てを欲しがってくれなくちゃ。中途半端に求められたら、差し出した後、残るものたちに執着心が増して余計に諦めがつかないじゃない。
そうそう簡単に手渡せるものなんてあまりないけれど、丸ごとならもしかしたら投げ出せるかもしれないよ。
僕は出来る限り軽薄な言葉でもって笑うけれど、口先三寸。結局丸ごと差し出せるような対象なんて僕にはいない。
だから捨てる。だから手放す。
欲しいと。だからちょうだい。とどんなに必死に乞われても、別にどうでもいいから好きにして。なんて本気で言えるわけがない。
あげるくらいなら、捨てる。手放す。
僕が残りを抱えて歩くより、僕のものだったものを君が抱えて歩くより、そっちの方がもっとずっと僕が、楽だから。

君が掴んだ肩が熱い

たった一言、口にすることのなんと難しいことか。
不可能に近い言の葉はやはり喉の奥で暴れ狂って行き場がない。

君が掴んだ肩が熱い。
君へと伸ばした指先は、未だこんなに冷たいと言うのに。

おかえりなさい

様々な代償を払って僕らは日々を生きてきたけど、今日の僕らの贖いの、これ以上があるだろうか。

僕は今にも躓きそうな両足を叱咤し、ひたすらに胸中生まれる感情を噛み砕く作業に没頭した。

呼べない名前を呼ぶことと、呼んではいけない名前を零すことは似ているようで全く違うということを、何も知らないでいた僕に教えてくれたのは、もはや呼ぶべき名もない君でした。

あぁそれでも僕は君のそばに。
…いたかった。

お願いですから。

お願いだから。
お願いだから少し黙って。

喉を通り舌先震わせ唇の先から空へ飛び立ってしまう、目に見えない“言の葉”なんていう不確かなものにしてしまわないで。
今の僕らの間にひたひたと満ちるもの全て、そんなに簡単に空に溶かしてしまわないで。
今はまだ穏やかな気持ちで手を振って見送ってあげられない。
見送りたくなんかない。
そんな余裕ない。

お願いだから。
お願いだから静かに微笑って。

言葉にしなけりゃ伝わらないことは思いも寄らないほどあまりに多くこの世の中に転がっていて、気をつけなければすぐに躓き転びそうになることも分かってる。
だけど今は黙って。大荷物そのまま抱いて生きていきたい気分なんだ。
その奇麗な瞳を薄く薄く細め、口端を緩く持ち上げるだけでいい。
それだけで今は十分なんだ。
他を求める余裕ない。

距離感の認知法

「人に優しくするのって疲れない?」

子供みたいな無垢な目をして、だけどその口が紡ぐ言葉は苦笑するしかないくらい擦れに擦れた残念な言葉。

「人に優しくするのって大変だよ。一度甘やかすと人はすぐに図に乗ってもっともっとと欲しがり始める。僕はそれが分かった途端萎えるんだ」

人って我侭や贅沢が好きで、欲望に弱いから。

気だるげに頬杖をついてマナー違反。
手のひらに押し付けた頬が柔らかく歪むのを、僕はただ眺めていた。
きっとその頬は甘やかでぬるいのだろう。不用意に手を伸ばして触れるわけにはいかないけれど。
だってあまりに、あんまりにも僕らの間には距離がありすぎる。
メートルで測ることができる身体と身体の距離も、どんなものさしを持ってきても正確には測ることのできない心の距離も。

…数値に表せない方がいいこともあるんだなぁ。

「どうして君はそんなに人に優しくできるの?面倒くさくない?」

本当に面倒くさそうに、だけど答えを欲して疑問を投げかけてくる。

『それがどれほど面倒くさいことでも、欲しいものがあれば渋々でも何でもするでしょう?』

僕は少しばかり汚れた言葉を返事代わりに投げ返す。
すると薄く目を細めた人は皮肉な形に口端を歪めた。

「そうか、君はいつでも見返りを求めてそうするんだね。でもそれって本当の優しさ?無償の愛は君の辞書にはないの?」

『欲しいの?そんな不確かなもの。先に君が言ったことだよ。人は我侭や贅沢が好きで、欲望に弱いんだって。自分が欲しいものと相手が欲しいものの利害が一致すれば、何でもスムーズに事が運ぶと思わない?』

無償の愛で勝ち取れるものなんてないんだよ。
そこにあるのはどこまでも独り善がりな自己満足だけ。それでもいいなら僕は止めないけど?だってそっちの方が僕にとってはとてつもなく面倒くさい上に得るものがない。
無償の愛こそ、相手を付け上がらせるだけの悪循環。
相手にとっても良くないよ。
それならいっそ、欲しがればいい。欲しいもののために笑えばいい。
何事も等価の代償が伴うことを教えてあげればいい。
贖いってやつだね。

「じゃあ、君は僕が欲しがって何かを差し出せば、それ相応の何かをくれる?」

途端ニヤニヤと良からぬことを企むようないやらしい目になった。
それを見て僕は嫌悪するどころか、そうこなくっちゃ、と心の中でガッツポーズを取る。

『利害が一致すれば、ね』

曖昧に溶かして手を伸ばすのは、柔らかな頬。
そこに無事この指先を触れさせその感触を知覚するために、僕はものさしで測れるだけの距離を縮めた。

ランドリーより愛を込めて

洗濯物を放り込み、粉状の洗剤を入れ、後は放置すれば勝手に洗濯も濯ぎも脱水もしてくれる。
便利な世の中になったものだ。なんて口走るには、この便利さは俺たちにあまりに馴染み過ぎている。
でも子供の頃実家にあったのは二層式だったなぁ。いつから実家も全自動になったんだっけ、思い出せない。なんて思いながら、折りたたんであるものを広げるようにして閉じられようとした蓋を元に戻し、ついつい覗き込んでしまった。
ごぅんごぅん、と意外と重厚な響きを伴って、振動する全自動洗濯機。
回っては止まり、逆方向へ回る。
じゃばじゃばと音と波を立てて、色とりどりの洗濯物が水に弄ばれる様をぼんやり眺めた。

「…うあー、ぼーっとする」

一度見始めたら最後だったりする。
脱水する時は蓋がしまっていないと駄目らしく、ピー、と警告音のようなものが鳴る仕組みになっている。
下手をするとその音に叱られる羽目になるほどに、俺はついつい、洗濯機が回るのをただぼんやり眺め続けてしまうのだ。

じゃばじゃばじゃば、じゃばじゃばじゃば、ぐるぐる回っては逆方向。
別にトリップとか、そこまで大げさに言わないけれど。
自分でも何故か分からないけど、なんでか見入ってしまう、単調な連動。
俺疲れてんのかな。いやいや、こんなの別に癒しじゃないし。思いながら。
ついつい。ついつい。

アンタまた…何してんの。そう俺の背中に笑み混じりの声をかけてくる人を、まるで待っているかのように。


(一旦停止)

仕合せな羽虫

君が自嘲しながら僕に向けてゆるりと差し出した手のひらは、確かに君の言う通り無残にも汚れ傷つき、嘘でもお世辞でも奇麗だなんて決して言えないものだった。
だけど僕はそれでも思う。
君が汚れたのはきっと、君があまりに優しすぎたせいだと。
たったそれだけの要因で、人の手のひらなんてものは意図も簡単に汚れ傷つくものなのだ。
いつまでも赤子のように柔らかく甘く美しいままの手のひらでいられるわけがないのだ。
徹底的なまでに、完膚無きまでに、君はただ、人より少し優しすぎただけなんだ。

僕は誘蛾灯に集る羽虫のよう。
君の優しさに貪欲にむしゃぶりついて、ますますその手を汚してしまう。
だけど僕はそれでも思う。
君がいつか僕を両手のひらで容赦なく叩き潰してくれたなら、それはどんなに仕合せだろうかと。
僕の体液で君の手のひらがますます汚れる刹那を、せめて死に際見られたらいいのに。

トリック&トラップ

君に僕の手の内全てを曝け出すには、まだまだ足りないものが多すぎる。
もう少し我慢していてよ、それが例えどんなに見え透いたトリックであったとしても。
知らんふりして黙ってて。
その程度の演技くらい、君からすればたやすいものでしょう?

君が掴んだその根の奥深く。
僕が用意している罠はもっとずっと深層にある。
今君の手の内にあるそれは、君を僕の本命の罠に引っかけるために仕掛けたお遊びみたいな罠の切れ端。
君がそれに気づいて壊れたみたいにゲラゲラ笑い転げてくれる日を、僕はこれで結構心待ちにしているんだ。
種明かしはそれからでも遅くないでしょう?

…ね、もう少しだけ我慢していて。
きっと君もろとも全部、僕がひっくり返してあげるから。
楽しみにしておいで。
僕は最後の最後、君ごと全部奪って笑ってあげるから。

風の切れ目

もし今、僕が。
明日が来るのが怖いと零したら、君は一体どういう言葉で笑い飛ばしてくれるだろうか。

明日が来るのが怖い。
この夜が明けるのが怖いんだ。

命ある限り必ず僕の元へと訪れる「明日」や「夜明け」は、本来希望の光を示す隠語だ。
だけど今の僕にとってそれらは、希望を抱くことで同時に約束される絶望と同等のもの。
寝ようが寝まいがしかるべき時が流れれば朝は訪れ、それを繰り返し繰り返すことで全てはどんどん背後へと流れて「過去」というひとくくりのカテゴリの中に埋もれていく。

新たな出会いは新たな別れを約束し、誕生は次の死を約束する。
形あるものはいつか壊れ、「今」は瞬きをした次の瞬間過去へと変化する。

それらは生きている以上、意識せずとも当然のこととして僕らは認識していて、抗いたいと願うことはあっても、実際に抗ってどうにかなるものでもない。

もし僕らに明日が。夜明けが来てしまったら。
そして少し前に僕が抱いた希望と同時に約束された絶望が僕の手元に届いたら。
元通り、ひとりきりに戻ったら。
僕はそれでもまた、君に会うため君を探そう。
途方もなくあてどなく続く灰色の世界を永遠に彷徨い歩きながらそれでもいつか、君にまた会えるようにと。
たったそれだけを希望の光として胸に抱き、そのことでまた次の絶望が約束されたとしても。
どれほどの時を越えてでも、君を探し出そう。
そしてまた君を見つけ出せたなら、やっと会えた。そう、心の奥底から呟いて。
もうめいっぱい。僕にできるめいっぱいの「優しい笑顔」を浮かべて。
それから。

『僕は本当はね、君のこと大嫌いだったんだ。それだけ言いに来たんだ』

今は言えないその偽りだらけの辛辣な嘘を、君に吐きつけまた君に背を向けひとりに戻る。
約束された絶望を、「今」の僕らの頬を撫でる柔らかな風の中、この手で確かに解き放つために。
ただ、それだけのために。

小さじ一杯分の真実

先の先を見通すこと全てがいいこととは限らない。
君がこれから僕に対して口走るだろう嘘を前もって見透かしてしまった僕は、もう君に完全に騙されてあげることができないのだ。
騙されたふり、ならば幾らでもしてあげられるけれど、本当の意味で騙されてあげることができなくなってしまった。

言葉の足りない質問には言葉の足りない答えしか返ってこないことを知っている君は、真実味の足りない嘘に対して真実味のないリアクションしか返ってこないことも分かっているだろうけれど。

等価を気にする僕はただ、君が一生懸命紡ぎ上げた嘘に対して、一体どれほど一生懸命騙されたふりをすればいいのか、正しいモノサシも存在しない曖昧模糊な概念の中、必死でぐるぐる考えるばかりだ。

ホワイト・ピリオド

「君は誰より幸せにならなければならないよ」

あなたは僕にそう言って、僕の頭を優しく撫でた。
宥めるような労わるような指先は、確かに僕ごと慰めようとしてくれていることくらい、僕にだって分かるのだけれど。
だけど僕はそれと同時に、その優しさの中に、僕に反論の言葉を飲み込み黙ることしかさせてくれない無言の圧力を見つけてしまって悲しくなった。

「君は誰より幸せにならなければならないよ」

あなたは僕に繰り返しそう言い含め、僕に優しく微笑んだ。
その言葉の中に眠る感情に嘘や偽りの類は欠片も見えず、確かに心の奥底からそう願ってくれていることも、僕には分かったのだけれど。
だけど僕はそれと同時に、あなたがそう僕に言うことであなたの願いが今後もう叶わないことが決定付けられてしまったことを思って寂しくなった。

僕の幸せって何。
僕を誰より幸せにしてくれるのは、あなた以外いないのに。

僕が今、僕の幸せを願うことで僕を突き放したあなたに向けてそう本音を口走ったら、あなたは一体どんな顔をするだろう。

だけど、

だけど何があっても何を間違っても僕にごめんねなんて言わないでよ。
なんでも全部君のせいにして逃げてしまいそうになるじゃないか。
だから何を思っても何が起こっても僕にごめんねなんて謝らないでよ。
本当に悪いと思っているなら、もうやり直しのきかない悲しい過去を心の中でひっそり慰めて、適当に折り合いつけて生きてってよ。
できることなら僕より長く。
僕は何かあったら君を捨てるから。
それはもう、いとも簡単に。どこまでも身勝手に。非情なまでに。自己中心的に。
君を捨てて、逃げるから。
だからもう二度と、絶対に僕にごめんねなんて言わないでよ。
それは未来の僕の台詞なんだから。

本当は、…本当に。

僕らは凍えていた。
もしかしたら最初から凍えていたのかもしれない。
初めて会った時すでに。
…否、出会う前からずっと。

本当は、君は僕がどれほど臆病な生き物か知っていた。
本当は、僕は君がどれほど臆病な生き物か、知っていたんだ。

僕らは確かに凍えていたけれど、過剰な臆病さが僕らの間にいつもあって。
僕らはそばにいながら、互いに凍えた手を伸ばすことができなかった。

だってそうでしょう?
一度触れた手の温かさなんて知ってしまったら、その手を離すことがとても怖くなる。
辛くなる。
寂しさなんてものを、思い知ることになる。
今より余計に凍えてしまう。
僕らはその怖さ、辛さ、寂しさを、すでにそれぞれ知っていたから余計だった。

君が僕の肩に初めて顔を埋めた時。
僕は、酷く凍えている君と、酷く凍えていた自分を思い知った。
涙なんて出なかったし、君の頬にも涙なんかなかったけれど、それでもあの刹那。
僕らは確かに泣いていた。
肩の上の君の頭を、強く抱きしめたい衝動を必死で抑えながら、僕は君の髪をぎこちなく撫でた。
そんなことしか、あの時の僕にはできなかった。
してあげられなかった。

初めて君が僕に触れたあの時。
精一杯、必死で、勇気を振り絞ってくれたのだと分かった。
勇気を振り絞って、僕らの間にいつもあった過剰な臆病さを越えてくれたのだと。
それはどれほどの勇気を要したのだろう。
恐る恐る、遠慮がちに僕の肩に顔を埋める君を見て、君は一体どれほど僕を救ってくれる気なんだろうと思いこそすれ、僕が君を拒絶するわけがないでしょう。

参ったな。
僕はひっそり苦笑した。

参ったな。

酷く凍えていた君は、酷く凍えた僕にとても。
今一人思い出すだけでも泣き出しそうになるくらい、とてつもなく温かかったのだ。

季節が夏に変わる頃の夢

「おやすみ」

その言葉は、いつもうっかり眠り方を忘れてしまう俺にとって、眠りとは意識し焦ることでつくものではなく、ただ目を閉じ安堵の溜息をつけばそれでいいものだと、すんなり眠る方法を思い出させてくれる不思議な魔法の言葉だったように思う。

たったその一言(しかも有り触れた挨拶の言葉)で、最近またろくに眠れもしなかった俺を、下手すれば眠ろうと足掻く時間の方が実質の睡眠時間よりも長かった俺を、意図も簡単にすぅ、と眠らせる。
夜の闇のように静かに沈んだあの人の声だけが、俺の何よりの睡眠薬だ。

もしかしたら、あの人は魔法使いなのかもしれない。なんて、子供じゃあるまいしと笑ってしまいそうなことを、半ば本気で思うほどだ。

「おやすみ」

たったそれだけの言葉に、一体どんな力が備わっているのだろう。
ぱちん、とスイッチが入れ替わるようにして、俺の意識は簡単に眠りにつく。
信じられないほど、穏やかに。

子供の頃、暑くて蹴り飛ばしたタオルケットを、母親が腹の上に戻してくれたことを思い出す。
「おなか冷やすよ」
その人の抑えた笑みが滲んだ声はどこまでも優しく耳の奥に響いて、そのたびそれは不思議と泣きたくなるほど懐かしい、もう覚えていない過去の記憶の向こうでも聞いたような錯覚を起こす気がした。
意識が片足夢に踏み込んでいるからだろうか。
その曖昧さは、完全に目覚めている時には馬鹿らしいほどなのに、こんな時だけは本気で分からなくなる。
胸の真下から太ももの付け根の僅か上を覆うだけのタオルケット。
全部かけたら暑くてまた蹴り飛ばすと分かっているから、せめて、ときっちり腹の上だけ。
その慎重さに感謝して、その好意を蹴り飛ばしてしまわぬよう、脚から力を抜く。
自分でかけたタオルケットは、どうしたって蹴り飛ばしてしまうけれど、母とその人にかけてもらったタオルケットだけは気をつけた。
それが唯一、やっと眠れる嬉しさと、不思議な切なさでいっぱいいっぱいになった俺にできることだった。

「おやすみ」

眠りは祈りと似ていると、何故か殆ど睡魔に覆われ、指先ひとつ動かせず、声ひとつ出せなくなってから思う。
目が覚めたら忘れてしまうほど、抗えぬほどこってり重たい意識の淵で。

今の僕にできることは?

君のためにできること。
今の僕にでもできる範囲内で、君のためにできることは何だろう。
どうにも役立たずになりがちな僕の手なんかで、君に何かしてあげられるだろうか。
まだ、何かできる力が残ってくれているだろうか。

君のためにできること。
それは不可能だってなんだって、破綻したって無理やりだって、どうにかしてやると思わせてくれる魔法の言の葉。
もし君がいなくて、僕ひとりだったら、結局何もできずに終わるかもしれないと思わせられる。
それが酷く怖いのと同時に、何故か嬉しい気持ちも湧いてくる。

君のためにできること。
それは、自分自身のためにできることよりもずっと、強力でいて不思議な力が篭っている願い。

君のために。
僕なんかにでもできることは何だろう。

悩んで悩んで、それでも答えが出てくれなくて。
ある日こっそり君に聞いてみた。
君は不思議そうに小首を傾げてこちらをまじまじ見た後、僕が真剣だと知ったのだろう、不意に悩むように眉間に皺を寄せ、しばらく唸っていたけれど、ふ、と僅か微笑むように口端を歪ませ、こちらを見た。
君の答えを待つ僕に、君はじんわり滲むような穏やかな微笑みを、こちらに挑むような強気な笑みに変えて。
その瞳の強さに思わず何を言われるのかとたじろぐ僕に、君はふと目を伏せて、

「撫でて」

そう言って、頭を僅か僕の方に差し出した。
え、
問い返す無粋な僕に、君はそれ以上何も言わずに待っている。
恐る恐る伸ばした指先が、君の髪を撫でるのを、どこか他人事のように思う。
君の願いは、だって、

戸惑いがちに君の髪を撫で続けることしかできない僕に、撫でられながら君は、

「そばにいて」

それだけを言った。

僕は君が言った言葉と、その表情がくるくる変わるスピードについていけずに目を瞬かせたけれど。
じわじわ胸の奥、滲む焦りに似たぬくもりに身を捩って苦笑した。
僕の苦笑に、君は不満そうにこちらを睨む。
聞いてきたのはそっちだろ、と言いたげに。

違う違う、と僕は苦笑をやめられないまま、軽く君に手を振って見せた。
違う。

「だってそれはだって、」

いいの?本当にそれで?
だってそれはだって、今にも泣き出してしまいそうになるくらい僕が、…嬉しいばっかりなのに。

君のためにできること。
それは大したこともできない僕に君が願うことなら何でもいいんだ。
できる範囲内のことなら。
そして、その範囲を少しばかり超えたものであっても、多少の無理なんて全然平気だと思わせてくれる力をくれる。
だけど君は、僕ばかり嬉しいことを口にする。
くるくる、表情を変えながら。
僕を翻弄しながら。

僕が、こんな手なんかで君のために何ができるだろうと途方に暮れていたことも知らないはずの君の、僕への願いは。
僕に、嬉しいばかりをくれる。

そう、その時気づいたんだ。
君の嬉しい、は、あまりに、僕にとって嬉しすぎると。
そう、ただ君に、僕は何ができるんだろうと思っていた。
ただ君に喜んでもらいたかっただけ。
僕が、嬉しいから。

残り僅かと思い込んだこの手なんかの力でも、僕は僕の嬉しい、のために、君の嬉しい、を叶えていけるんだと。
君が、教えてくれる。

「そばにいて」

それは、僕の君への願いそのもの。

雨の街に嫌われたら

雨の街に嫌われたら、僕らはどうしようか。
僕らの間にたったひとつだけある、どこにでもあるようなビニル傘をさしたまま、途方に暮れて雨の中、立ち尽くそうか。

さぁさぁと降り注ぐ雨は、日本独特の四季がくれた恩恵。
だけどじめじめした湿度はきっと、君を困らせる。
君は唸りながら僕の髪を見るんだ。
そして僕は、君に微笑みかけてやる。
それがいちいち癪に障る、と君はますます苛立つ。
君の不機嫌と反比例して、僕はどんどんご機嫌になるんだ。
なんでだろう。
君のしかめっ面すら、眺めてるだけで不思議と僕の心は浮き足立つ。

雨が降りしきる街に嫌われたら、僕らはどうしようか。
立ち尽くすことすらできないなら、いっそ雨が降らない地域まで一緒に逃げてみる?
途方も無いことを提案しては、君を困らせる。

それでも僕らは、もうひとつビニル傘をコンビニで買う気にはならない。
このままでいいよね。
このまま。

ねぇ、僕を好きでいて。
君のことが好きな僕を、ずっと。

立ち尽くすことも、逃げることもできないのなら。
ふたり、どこにでもあるようなビニル傘、たったひとつで。
分厚い雲間、光が差すまで。

「hs」メモ

手遅れなんだ。
もう、手遅れなんだ。
下す判断も、処置もすべて手遅れ。
英断なんてすでに不可能。
僕らは垂直に落下するだけ。

手遅れなんだ。
もう、全ては手遅れ。
後戻りなんて許されるはずがない。
僕らは垂直に落下するだけ。

最初から、僕らの背中には羽なんてなかったんだ。

もうタイムリミット。
全部お終い。

羽ばたく羽もないまま、覚悟を決める暇もなく、
僕らは垂直に落下するだけ。

僕らはきっと落下地点は違うけれど。
落下が同時だっただけ、よかったのかもしれないね。
だからせめて、彼らがゆらゆらと沈み飲まれていくことも、
せめて同時だったらいいと願おう。

最初から、彼らの背中にも羽なんてなかったのだから。

手遅れなんだ。
もう、手遅れなんだ。
ただ僕らは、途方もなく無力だっただけだなんて思わないでいよう。
伸ばした指先が掠めた優しい風だけは、真実だったと信じよう。
冷えた背中に感じた、確かな体温を忘れないでいよう。

贖い切れない罪だけ背負って。

もう、全ては手遅れだけれど。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。