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Blue sky

お前は高い高い空の色だ。
私はこれでも、沢山の人と出会ってきたと自負しているが、お前のような色は今まで見たことがない。
私が見たことがあるのは、深い深い夜の海の色だけだ。

お前は高い高い空の色だ。
それも、その内側に抱く感情によって、四季折々の空の色になる。いつだって眩しいほど鮮やかに。
私が知っているのは、暗い暗い真冬の水底の色一色だけだったのに。
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こんなにも好きです。

それでもやっぱり、多少なりとも覚悟はしてきたつもりなんだ。
先が見えない状態が怖いことくらい知っていたけれど、でも、多分。
あまりに遠すぎる「先」なんて、むざむざ見ようとしなくてもいいんだと思う。
どうせどんなに目を凝らしても、どんな高性能な望遠鏡覗き込んでも見えないんだし?
それどころじゃない、「今」で精一杯、みたいな状態が、これで結構救いになったり。
…そう、だからいいんだ。

僕は、十分しあわせなんだ。
僕は、十分満たされてるんだ。
僕は、十分報われてるんだ。


そう言った僕に、君は、「まるで自分に言い聞かせるみたいに言うなよ」と笑った。
だけどね、考えてもみて。
人なんて、人の人生なんて、すべて思い込みだけでできてるようなものじゃないのか。
この目が映し、この手が触れ、この脳が判断することが、他の人たちと正しく同じかどうかなんて、どんなに科学が進んでも分からないじゃないか。
微妙な齟齬をなんとかごまかしてすり合わせる方法なら、僕ら人類が連綿と生きてきた歴史の中で発見され学習され工夫され、進歩してきた。
だから僕らは同じものを見ていると。同じものに触れていると。同じものだと判断していると「思える」。
そうして安心できるんだ。

なんだってそうだ。
しあわせだと思えば、それが他の人からしたらどんなに不幸せなことでも、しあわせだと言える。
胸を張って堂々と。心の奥底から本気で。
だから僕はいつだって自分に言い聞かせる。僕はしあわせなんだ。満たされてるんだ。報われてるんだ。これ以上何を望む?分不相応に、何を望むのか。
僕が振り撒いた善と悪。その両方は、巡り巡って結局自分に戻ってくる。それだけだ。
すべては自分の範囲内に収まる。
収まらないものなんて、自分に降りかかってなんてこない。
僕は、物語の主人公のように劇的な人生なんて送ってない。
…多分。

君は肩を揺らしてくつくつと笑った。「もう少し言葉を選べばいいのに」と。
器用だろうと不器用だろうと、それでも生きてるから何とかなるよ。
沢山の出来事はいつしか全て過去思い出になって、遠すぎて見えなかった何もかもはいつの間にか今になる。
平気だよ、何とかなるよ。と、いつだってゆったり構えていられるくらいの強い人になりたい。それだけなんだ。

言葉を選んで、言葉を探して。
確かに、自分や誰かを傷つけることがないようにするためには、上手に立ち回らないといけないこともたくさんあるけど。
完璧に誰も傷つけずにいられるなんて幻想、抱いてないけど。
それでも、できるだけ。ひとりでも多く。自分と、自分が大事だと思う人たちが、あんまり傷つかずにいてもらいたい、傷つけずにいたい。そう、…いつも思ってるよ。



(一旦停止)

正しい場所の確保の仕方

君はそこがどんな場所であれ、いつもひっそり、なんだか申し訳なさそうに存在する。
例え寂れた公園の薄汚れたベンチの上でも、不慣れな新入社員が社長の椅子に座らされるかのように申し訳なさそうに、心細そうに座る。
僕はその姿に対して、ちんまり。という言葉が妙に似合う気がして、だけどすぐに似合わないと心の中で一蹴した。
そんな生易しかったり可愛らしいものでもない気がしたのだ。

あ~ぁ、

僕は心の中で溜め息をつく。
ここでも駄目か。というかそもそもどこでも駄目なんだろう。とやっと気づいたのだ。
いつの間にか心の中でだけで様々な感情をやりくりしてしまう癖がついたのは、多分僕だけではなく、君もそうなのだろう。

多分君は、自分の家の座布団の上でも同じように申し訳なさそうに、心細そうに座るのだろう。
誰も他にいなくても。家族と一緒でも。たったひとりでも。
多分君にとってそれが当然で、そうしないことの方が圧倒的に不自然で落ち着かないのだろう。
だけど一緒にいる僕の身にもなっておくれよ。と、僕はまた心の中でのみ嘆いて苦笑した。

小さく小さく、できるだけ小さく。
ベンチを一人分使うことさえ罪悪みたいにして、君は座る。
あと数年で壊れてしまいそうなくらいのボロい公園のベンチの上ですら。

僕はほんの少しだけそのベンチに。君の家の座布団に。君が今まで申し訳なさそうに、心細そうに座ってきた椅子や場所たちに、…本当にほんの少しだけ嫉妬した。

ピアノだって打楽器だよ、と以前あなたは言いました。

天気のいい昼下がり、窓から差し込む日光の心地よさにうとうとまどろんでいた僕の耳に、カタ、カタ、何かを叩く小さな音が聞こえてきた。
不思議なリズムで鳴り続けるその音が何か半分眠っていた脳ではすぐには判別できなかったけれど、なんとなく知っている音だと気づき、多分、電子ピアノにイヤホンを刺して演奏しているのだろうと目星をつける。

カタ、カタカタカタ、タタタタタタタ、タン、カタ、カタ、カタン。

それと共に、微かに抑えに抑えた小さな鼻歌。

あぁ、あの歌だな、と。僕は思って少し笑った。
だけどそれでも日光の心地よさに抗えずにまたまどろむ。

カタカタ、カタタタタン。

あぁ、もしかして僕が眠っていることに気を使って、イヤホンにしてくれたのだろうか。
その、本来ならば伸びやかに空高く響き渡る声を、抑えに抑え、だけどつい零し落として鼻歌にしているのだろうか。
あの歌を、歌っているのだろうか。
硬く冷たい鍵盤を叩く指先は、今、一体どのようにして。どのような想いで音を紡ぐため揺れ動くのだろうか。

自分にしか聞こえない、密やかな音楽を。
僕が気づいていると知ったらあなたは、どうするだろう。


(停止)

そこに爪を立てるのは、引き裂きたいから

常時酷く短く爪を切りそろえる癖が抜けないなら、その無様な爪先ででも抉りたいものもあるということ。
そういった衝動を肯定してやることからしか始められないなら、内側で幅を利かせる膿のようなものを自覚したということ。
そう、その膿はね。分かってるんでしょう、放置したらしたでどんどん増えて内部から外部を圧迫していくことを。
醜く膨れ上がった皮膚の真下。そう、そこ。そこんとこに。

あるよね。あるんだ。確かに。

歯を食いしばれば大概大丈夫。どうにだってなる。多分だけど。
でもそれでもついそこに爪を立てるのは、いっそ全てと引き裂いてしまいたいからだ。

好奇心は猫をも殺す

「知る」ということと「死ぬ」ということがイコールで結ばれているとして。

それでも君は、知りたいと願うのだろうか。

命がけの問いかけの言葉を、それでも君は彼に投げかけるのだろうか。

禁色

思わず、と言わんばかりに、君の口から禁句が零れた。
それは紛れもなく僕に向かって発したもので、その言葉をあまりかけられたくなかった僕はつい眉間に皺を寄せ、唇を固く閉じてしまった。
腹が立つ、というよりも、まさかその言葉が君の口から出るとは(だって僕より君の方がその禁句を心から嫌っていた)、という驚きや戸惑いの方が勝っていたように思う。
それに、発した直後君が、しまった、という顔をしたのを真正面から見てしまったからには、さほど怒るわけにもいかない。
だけど君は慌てて、「今の忘れて」と禁句を発した時よりずっと早口で急いで言った。
今の忘れて。聞かなかったことしにてということか。
僕はなんとなく、そうしてあげたいと思った。
一度耳にしてしまった、君の音声による禁句は、すぐには完全に記憶から抹消できずに僕の脳裏をぐるぐる回るけれど。
一巡りするたびその言葉は新しい刃物みたいにいちいち僕の心をずたずたに切り裂いていくけれど。
「分かった。聞かなかったことにする」と僕が辛うじて強張った唇を動かしてもごもご言うと、君は安堵したのか残念がっているのか、ちっとも分からない中途半端に歪んだ顔で「うん、そうしてくれるとありがたい」と言った。

立ち往生

君のくるぶしは正しく張り詰めている、となんとなく思った。
ただ真っ直ぐその場にしゅっと立つ、少し丸みを帯びた後頭部、筋肉とほんの少しの脂肪分で包まれた骨の気配がする肩先から、なだらかに伸びる背中、頑強な腰骨、太もも、膝裏、ふくらはぎ、そしてくるぶしとかかと。
そのあらゆる各部位の中でも、君の剥き出しのくるぶしは特に僕の目を釘付けにした。
骨の真上を皮膚で覆っただけの、だけどどこよりも隙のない場所。
ごつごつとしたそこはきっと、触れたら硬いのだろうと当たり前のことを思う。
硬く、固く張り詰めているのだろうと。
僕は僕に背を向け美しい姿勢を保ったまま立つ君の、何よりどこより誰より、正しく張り詰めているくるぶしを、なんとなく眺め続けた。

方程式メモの処分

簡単に解ける。
簡単には解けるものじゃない。

そばにいるだけじゃ駄目。
ほっといてもいいけど寝たら駄目。

君と僕の間にだけ通用する方程式。
他の誰にも解けない方程式。

君と僕だけが積み上げてきた時間=暗黙の了解事項。

壊すまでもない

いちいち注がれる微笑みと共に許しがもらえる時がくるまで待ち、その箱を包むリボンや可愛らしい包み紙を解くまでもなかった。

誰のためとか何のためとか、そういった表向き奇麗で真っ当な言い訳は幾らでもその時折必要に応じて簡単に作って手渡せた。

全部見え透いていたと言ったら。
全部口から出任せだと言ったら。

いとも簡単にあっけなく壊れることだって分かっていた。
だけど、わざわざ手を汚して壊すまでもない。
放っておいたって、形作ってしまったものはいつか壊れるのだから。

鬱蒼と茂った木々の枝葉の合間、種類も分からぬ小鳥が追いかけっこをしているのを見つけたって、別にその正体とか存在理由とか、どこまでも面倒くさくて難しいことなんてそうそう考えないでしょう。

あなたが思うほど、僕らはそんなに賢く正しい生き物ではない。
僕らは触れ合うまでもなくそれを見抜き、諦めに似た許容を共有しただけだ。

卑怯さと残酷さの定義(メモの処分)

人がこの世に生まれ出でる前から体内に常備品として抱く「寂しさ」は、目に見えない分だけ露呈することを恐れるもの。
「寂しさ」はぽかりと空いた穴によく喩えられるけれど、もしかしたら穴と言うよりもっと確固たる姿を持った異物に近いものなのかもしれない。
それは目に見えないから、穴にせよ物にせよ、不安定で不規則であることには変わりないから、結局どちらかに決定しなければならないものではない。
「寂しさ」をどう紛らわせたり、慰めたりするかが問題だ。
他の何かで適当に補おうとしたり、勝手に違うものに変えてしまおうとしたりするのは、ただの我侭であり、ただの卑怯な逃げの手だ。
だけど悲しいかな、人がこの世に生まれ出でる前から体内に常備品として抱くものは、「寂しさ」だけではなく、「我侭」であったり「卑怯さ」であったりもする。
それが人だと真理を笑えば、心裡は人の内にだけ。と人が笑った。

---

彼は優しい。
彼は優しいから、優しすぎて残酷な時がある。
彼は優しい。
彼は優しいから、優しすぎるから、冷たいその手が曖昧で、こんなにも求めているのに不意に恐怖に駆られて拒否したくなるほど、叩き払ってしまいそうになるほど、残酷だ。
彼は残酷だ。
彼は残酷だから、残酷すぎるから、必死に生きてるし余裕をなくさないしで、酷く人間くさくて温かい。
手が冷たい人は心が温かいのだと嘯く人が笑うけれど、それはもしかしたら本当なのかもしれないと時々思う。
それだけ彼の手は冷たく曖昧で、優しい。

---

古い古い、言霊でした。

切り落とした爪の欠片

ぷちん、ぱちん、

小気味いい乾いた音を立てて、爪きりで爪を切る。
ゴミ箱の上。
時々勢い余って飛んでしまう欠片を指の腹で捕まえては、他の爪の欠片と同じ場所に入れてやりながら。
爪も、燃えるゴミなのだろうと思いながら。
たんぱく質が燃える独特の匂いを思い出しながら。

ぷちん、ぱちん、

爪きりで爪を切る。

一度手の爪全てをある程度切り落としておいてから、荒々しいそこに適度にヤスリをかけて滑らかさを探す。
ざらざら、ぼこぼこしたそこに、指の腹で触れて確認しながら。
欠片にすらならない細かな粉になった爪だったものを、ゴミ箱に払い落とす。

そうやって、適度に滑らかさを見つけられるようになった指先を、光にかざして眺める。
眺め、気が済んだらおろす。
おろした手が行き場をなくしたら、座ったままの上体を支えるように手をついて、振り返る。
背後、何も知らないで暢気に眠りこける人を振り返る。

すぅすぅ寝息が聞こえたら、聞く、という行為を忘れていた耳が、それを思い出してしまったら、ついその頬に触れたくなってしまうけれど。
未だぎこちない滑らかさしかない爪で触れたら傷つけてしまいそうで怖いから、今は耐えて紅茶を淹れよう。
あたたかい、ベルガモットが優しい、穏やかなアールグレイでも。

丁寧さを忘れた指先から、切り離された爪の欠片。
一欠片も残さず全て、いつか燃やされると知っていて尚、それでもゴミ箱で寝息を立てるのだろうか。
背後、何も知らないで平和そうに眠りこける人のように、すぅすぅ、聞いてるこっちが切なくなるような寝息を立てて。

夜明けの憂鬱を喜びに

乾燥した硬質な風はまるで、頑丈な城壁にも似ていた。
一度内側に抱いたものを守るにはこれ以上ないくらい頼りになるものだけれど、外界からそれに触れようとするものの一切を拒絶する頑なさはある意味危険だ。
風は周囲を取り囲み、内部の空気は当然淀む。
湿度をも孕むことを否定して、硬く、どこまでも固く閉ざす。
そこはあまりにありとあらゆるもので満杯になりすぎて、頭が痛くなるほど騒がしい割に、特に意味を成すような言葉や音など一切聞き取れない。
内部に抱かれたものは喘ぐように淀んだ酸素を吸い、二酸化炭素を吐き出す。
そのたび体内の水分は飛び、ますます乾いていくよう。
守られている安堵と共に、そこから二度と出られなくなるような恐怖も背中合わせ。

どこまでも淀んだ空は唯一、夜明けだけ澄んでいるように錯覚させてくれる。
それが冬ともなれば尚更だ。
だからこそ外界からある日内部に抱かれたものはつい、冬の夜明けを待つのだろう。
全てが未だ眠りから覚め切らず、耳が痛いほどの静寂が守られたままのその一瞬に。

湿度を孕んだ脆弱で柔らかな空を、探すのだろう。

「俺はいつでも戻ろうと思えば戻れると思うよ」

抱かれたままの自分自身を自覚できていない彼は、どこまでも柔らかく。
あの外界の記憶に似た微笑を浮かべ、硬質な風を胸いっぱいに吸い込んだ。
その唇の端、咥えられたままちりちりと燃えるタバコの先端が、彼と自分のタイムリミットを示しているようでいたたまれなかった。

「そんなに思いつめる必要なんてないと思うけどね」

もう随分長い間自分たちを抱いて放さない乾燥した硬質な風の頑なさに、未だ気づかない彼が。
馬鹿だな、
呟いて、無邪気とも邪気とも取れぬ微笑みでこちらを見た。
馬鹿だな、
同じ言葉を口にせずただ、心の中で返して苦笑した。

約束破り

大切で、大切で、どうしても、何を犠牲にしてでも守りたいものがあった。
それを守るためなら何でも捨てることができると信じていたし、そのせいで誰かが傷ついても知らない、なんて大人気ない身勝手甚だしいことも平気で思ったくらいだった。

強く胸に抱え込み、座り込んだ腕の隙間、守りたくて仕方なかった大切なものを掴んで引かれた時、手放したくなくて壊されたくなくて奪われたくなくて、我を忘れて喚いた。

離せ、嫌だ、お前なんか知らない、

その刹那、ぱちん、と何かが弾けた音がした。
まるで風船が割れた時みたいな音だった。

その音に一瞬気を取られ、我に返った時。
腕の中の大切なものは、掴んで引く彼もろとも消えていた。

本当にこの腕に抱きしめ守りたかったのは、彼だったことを思い出した。

「うそつき」

嘲笑だけが、消えたものを未だ抱くように震える腕の間、木霊するように。

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初冬のうた

見るともなしにぼんやり窓の外を眺め、何度目か分からなくなりそうなほど繰り返した季節を指折り数える。
去年の今頃は何をしていたかな、なんて、考えない方がいいと分かっていながら、それでも。
ぼんやり、窓の外に記憶を探す。

去年のことを随分昔のことのように感じるのは、いいことなんだろうか。
それとも、悲しいことなのだろうか。

「何してんの、そんなとこで」

寒くないの、と君は笑う。
そんなことないよ、と僕は嘘をつく。
何が見えるの、と君は問う。
夜の闇だけだよ、と僕はまた嘘をついた。

一年を過ごすことはいつも、高校を卒業した辺りからとても早く感じていたけれど。
今年一年はなんだか色々ありすぎて、もう覚えてないよ。
そう、僕は僕に嘘をついた。

眠くないの、と君は言った。
うん、そろそろ眠いね、と僕はまた君に嘘をついた。
先に眠ってて。すぐに行くからと。
分かった、と君は僕の嘘に気づいているのかいないのか、曖昧に頷き殊更ゆっくり瞬きをした。

僕は生きてきた数十年の間、君と出会う前も、出会った後も含め、一体何度、自分と、君に嘘をついてきただろう。

少なくとも今年だけでかなり嘘をついたことになるな、なんて、考えない方がいいと分かっていながら、それでも。
ぼんやり、冷えた窓に映った自分を見やった。
ただの嘘をついたことと、自分に正直に生きるためについた嘘は、どのくらいの違いがあるのだろう。

おやすみ、と君はあくび交じりに呟いた。
おやすみ、と僕は今日初めて君に、嘘以外の返事をした。

窓の外はもう、すっかり冬の夜。

境界線は己の手で

はしゃいで、はしゃぎ倒して、ふと我に返る。
しなきゃいいのに、振り返る。
ふ、と隣から僅か聞こえた溜息みたいな吐息を拾う。

ねぇ、楽しかったね。

そうだね。

満足そうな隣の人の横顔が、ふと陰る。

俺ね、決めてたことがあったんだ。
馬鹿なことができる内に、今だ、って思う内に、それがどんな無茶なことでも、したいと思ったらとにかくしてやろうと思ってた。
歳を取って名実ともに大人になって、馬鹿なことがしにくくなったり、自分の身体が自分の言うこと聞かなくなるくらいよぼよぼになったりした時に思い出してね、あぁ、俺あの頃ものすごく馬鹿なことをしてたなぁ、って笑えるように。
するんじゃなかった、と後悔するより、しとけばよかった、と後悔する方が、人間は強く思うらしいから。

陰ったのは、馬鹿な時期を過ぎてしまったからか。
今、その境界線を踏み越えたのか。
君は、もう、

磨耗して、それでも掠れ残る子供の君は、その横顔にカケラも現れようともせず、一体どこでかくれんぼの続きをしているのだろう。

不意に、目眩がした。
君の吐息はあまりに大人びていて、はしゃぎ疲れた子供のそれとは遠かった。
そしてそれは、未だ置いてけぼりを食らったことにすら気づけない子供の僕とも、あまりに遠かった。

「68.扉」のネタ候補たち

「扉」

・時間軸、としての扉。
 季節の移り変わりがあまりに急激な時は、まるで次の季節の扉をいきなり全開にしたような感じがする。
 いつもはじわりじわりと開いていくはずのそのスピードを想像していると、酷い肩透かしを食らわされる時がある。
 ただ、戸惑うだけなのだけれど。

・ドアとしての扉。
 この扉の向こうに、君はいる?
 笑って、俺を迎え入れてくれる?
 待っててくれてる?
 俺の顔を見るだに微笑んで、俺の名前を呼んでくれる?

・地獄の門、としての扉。
 この扉が開かれる時、それは終わりか始まりか。
 君は一緒か。それともひとりきりか。
 今夜行こう、この扉の向こう側へ。

・心の扉。
 開きたい。君の心の扉。僕の心の扉。次のステップ。
 次の場所へ行きたい。

過去のメモ

不機嫌を装うばかり

素直に泣くこともできないその横顔に聞いてみたい

差し伸べた手の先に何を掴もうと必死なの

引きつるまで伸ばした指の向こう

眩い光の向こう側には

君にとって一体何があるんだろう

「63.寄生」の処分品

メールボックスを開くたび、何か、どこか、祈るような気持ちになっていることに気づく。
そして「新着メールはありません」という言葉に、何か、どこか、溜め息をつく癖がついたことに気づく。
その溜め息は安堵なのか、残念なのかわからないけれど。
毎回、メールボックスを開くたび、祈るような、願うような、
何を祈って、
何を願って、
結局俺は、メールボックスを開く時、何を期待しているのだろう。
何を望んでいるのだろう。
メールが欲しくないわけじゃない。
でも、メールが欲しいわけでもない。
諦めているわけではない。
諦めてないわけでもない。
ただ、なんとなく。
メールボックスを開く刹那、何か、どこか、祈るような気持ちになっている。
そして「新着メール1件」という言葉に、何か、どこか、溜め息をつく。
その溜め息は安堵なのか、残念なのかわからないままだけれど。


昔。
メンバー皆でメアドの交換を初めてした時。
新しく手に入れたばかりの玩具みたいで、嬉しくて楽しくて。
つい、すぐそばにいるメンバーにメールを送ったりして遊んでいた。
手元で送信ボタンを押してすぐ、近くにいるメンバーが携帯から顔を上げてこちらを向いて、笑う。
すぐに視線はまた携帯に落ちて、ぎこちない動きでもってぽちぽちと返事を打って、送信ボタンを押して。
手のひらの上、携帯がメール着信を知らせて。
開いて、読んで。
顔を上げて、笑う。
そんな、くだらない遊びに夢中になってた頃がある。
あのさぁ、そういえばさぁ。
そう言って、話せば数秒で済むようなくだらない用事でも。
まだ、携帯の形も今と違っていたし、機能も全然少なかった頃のことだ。
だから、昔。



      *   *   *



もたれかかった背中に感じるのは、俺が力を抜いて全体重で後ろに倒れようとする力と同じくらいの、全体重でもってこちらにもたれかかる背中。
お互い容赦なくくつろぐからこそ、それができるほど相手を信用しているからこそ、俺も相手も、倒れずに心地よい角度を保っている。
じんわり。
背中に布越しの体温。
指先で弄ぶのは携帯電話。
それは背後の人も同じようで、あの頃とは全く違った手馴れた操作音がする。
完全に背中を向け合って、ぴたりとくっついて。
会話なし。
仲がいいのか悪いのか、微妙なとこ。
…には、見えないか。さすがにこんだけくっついてれば。
「いっそ向かい合えよ鬱陶しい」
心底面倒くさげにリーダーは言うけれど。
向かい合えばそれはそれで、うざい、と吐き捨てられるのも分かりきったこと。
だって何度も耳にしている言葉だから。
リーダーの溜め息を他所に、俺は慣れた手つきで携帯をぽちぽち。
『たまにはこうしてたりしないと。ねぇ?』
送信。
すぐ背後で彼の携帯が震え、短く俺専用着信音が鳴る。
その着信音が俺専用だってことは、彼と俺しか知らないのだけれど。
そして、彼がそれを読んで僅か肩を震わせたのが分かったから、無言のまま背中に僅か力を込めて同意を求める。
彼もまた同じようなことを考えていたのか、それとも俺の勘違いなのかわからないけれど、とりあえず、俺の背中を僅か同じ力で押し返して相槌のような反応をくれた。
以心伝心。…とか、思い上がらせておいてくれ。と無茶を思う。
思いながら、俺も背後の彼と同じように、慣れた手つきでまた携帯をぽちぽちする。
彼との会話、終了。

背中合わせの体温は心地いい。
確かに向かい合ってくっついててもいいんだけど、どうしたって丸まる俺の猫背が、俺よりはまだましだとしても、それなりに同じように猫背の彼の背中と接点を僅かにするのを嫌がって、無意識少しだけ伸びるのが分かった時、あぁ、こうするのも悪くないんだ、と知った。

不意に、携帯がメール着信を知らせる。
俺と彼しか知らない、俺の携帯の、彼専用着信音が短く流れる。
すぐに開かれるフォルダには、当然彼からのメールが一通。
『お前、眠いだろ』
唐突な言葉も、背中合わせだからこそ笑える。
きっと、彼に預ける安心感から、睡魔を感じ始めた俺の体温がほんの僅か上がったことを、ぴたり合わせた背中でもって彼に伝えてしまったのだろう。
うん、眠い。
そうメールの返信をするのも何だか面倒で、背中に少し、力を入れて相手を押す。
軽く押し返す背中に、また少し笑う。
べたり、背中を伸ばして身体全部で彼にもたれる。

会話したくないわけじゃない。
ただ、もったいない気がする。
こうして黙ったまま背中ごと体重を預けて、じわり、滲む体温みたいにこのまま、互いの身体の中に入っていけそうな気がするほどずっと。
…このまま、這入っていけたらいいのにと思ってしまうほどずっと。



(停止)

「99.タブー」の処分品

時間と金と酸素の無駄遣いだ。って、誰かが真剣な眼差しで言った。
タバコを吸う俺に。そして、同じようにタバコを吸う彼に。
そうだね。
俺も彼も、タバコを吸いながら笑って答えた。
健康を害するだけだよ。って、誰かがそれでも真剣に言った。
そうだね。
俺も彼も、タバコを吸いながら笑って答える。
誰だっけ、この人。覚えてないんだけど。
俺と彼は黙ったまま視線で会話する。
彼はばれない程度に小さく肩を竦めて眉尻を上げるだけ。
そしてまた、性懲りもなくタバコを吸った。
真剣に忠告することに意味がないことに気づいたその「誰か」は、深く溜め息をついて席を立った。
きっとこの人は何でも「無駄」が苦手なのだろうと思った。
あぁ、やっと美味しいタバコが吸える。
俺と彼は同じように溜め息をついて肩から力を抜いた。


未成年の時から吸ってた。なんて、大概の喫煙者には共通で、今更なこと。
二十歳になったらやめようと思ってたんだよ。と笑うのが常套句みたいなもんで。
時効だよね、と笑うのも、そんなもんだよね、と返して笑うのもまた、常套句みたいなもん。

俺たちはただ、「無駄」ですら終わらないから、繰り返すだけなのに。


(停止)

上手にひとりで歩きましょう

何度繰り返しても、どうしても慣れないことがある。
それは、帰り際の君の背中を見送ることだ。

いつもいつも、君と会うたびそれと連動して必ずこの時がくることくらいは知っているから、その時折の衝動なんかで君を引き止めたって仕方がないことも分かっている。
だから僕は悪戯に引き止めて君を困らせたりもしないし、そんなことをして無駄に時間をずらしたりしない。
引き止めたって、どちらにせよこの時は必ずくるのだ。
ただ、帰っていく君に微笑み、手を振るだけだ。

だけど思う。
僕は君に、上手に微笑んで手を振れているだろうか。
君を、上手に見送れているだろうか。
妙に君の後ろ髪を引いていないだろうか。
君の心残りなんかにならずに済んでいるだろうか。

君は、上手に君の帰るべき場所に帰れるだろうか。
僕は、上手に僕の帰るべき場所に帰れるだろうか。

最後に握ったその手のひらの温度を感触を、次に会う時までの道しるべにして、僕らは上手にひとりで歩けるだろうか。

何度繰り返しても、どうしても慣れないことがある。
それは、帰り際君の背中を見送ることだ。

いつもいつも、必死で笑い君に手を振る僕に上手に笑って手を振り返し、背を向けて歩いていく君の背中を見送りながら、もしかしたらこのまま二度と君と会えないのではないか、と思ってしまう。
そのたび、そう思ったところでどうしようもない、と自分を戒める。
戒めたところで、この次君に会い、別れの時がきた時、また、同じようにもう二度と会えないのではないかと思ってしまうことも分かっている。
分かっているけれど。

僕らは上手にそれら不安を切り離し、それでもそれぞれの帰るべき場所に帰る。
帰らなければならない場所がある限り、僕らは下手でも上手でも、とにかく笑って手を振るしかない。
背を向けて、ひとりで歩くしかない。

最後に握ったその手のひらの温度を感触を、次に会う時までの道しるべにして、僕らはまた会えるのだろうか。

レミング

まっさらな、何も書かれていない紙片が舞う。

ばさばさひらひら。

屋上から。

雪みたい?

真夏の真昼の夢幻。

ばらばらゆらゆら。

増え過ぎた白紙たちの、自由を獲得した刹那許される空中遊び。

なんだかちょっとだけ、羨ましいんだ、それ。

真っ白な紙には、一滴垂らしたインクの黒がよく滲む。

「64.毒」のメモ

僕は君が差し出すものなら何でも。
君が、僕にだけ見せる笑顔でもって差し出すものなら何でも。
例えそれが毒だと知っていたとしても。
そもそも、君そのものが僕にとって毒みたいなもんだし。
それはそれは、甘美な。
常習性のある危険なものだと知っていて、手を伸ばしたのは僕自身。
今更後悔するものでもないし。

それにほら、「毒を食らわば皿まで」って言うじゃない?

どんな痛みでも平気。
幸せはよく陽に干したシーツと毛布のベッドみたいだと思う。
そこにふかふか君とふたり沈むためなら、どんなことだって平気だよ。

一体どこへ?

伸ばした指先は、どこへ向かって?
君の頬?
君の手?
君の髪?
それとも全く違う方にある、青空だろうか。

空は晴れ渡り、小鳥は囀り。
ねぇ、馬鹿馬鹿しいくらいだね。

引き寄せる腕に強引さは十分込めてるつもりだけれど、それは空回らずにいられるだろうか。
君に爪なんて立てずにいられるだろうか。
指が食い込まないように、上手にできるだろうか。

踏み出した足は、どこへ向かって?
君の隣?
君の前?
君の傍?
それとも全く違う方向にある、階段だろうか。

僕らは何かを探して、いつも迷って。
欲しいものすら見失って、だけど諦めきれずに無様に深呼吸を繰り返す。

自ら自主的に伸ばしたはずの指先も、踏み出したはずの足も。
一体どこへ?

無事、君の元へ届くだろうか。

プロットだけですが。

ひとりぼんやりベンチに座る。
その隣、ひとり分の隙間をあけてベンチに座り、煙草に火をつける。
「しかしアレだねぇ」
何気なさを装うようにして、こちらを向かない相手に声をかける。
「…何」
声をかけられた方は、煩わしげに隣を横目に見る。
「嫉妬に狂った男ってのは、無様だねぇ」
声をかけた方は相手を見ない。
かけられた方はうんざりと言いたげに、ため息混じり。
「…分かってるよ」
「あれ。身に沁みてるんだ、一応は」
ふざけた口調裏腹、さほど面白そうでもなく笑う(馬鹿にしているのとはまた少し違う感じ)
対して、声をかけられた方は自嘲するように。
「理解してる。嫌ってほどね」
「ふぅん」
「…話をふってきた割には淡白だな」
文句を言いつつ、不満はない。
「そりゃそうだよ。頭では分かってても、心で分かってなかったら意味がない。今のお前のようにね」
そこでようやく、相手を横目に見て笑む。
その視線を受け、ため息。
「…余計なお世話だな」
「そうだね」
ふたり、苦笑い。

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…こんなネタ使えねぇし!(死)

柔らかいのは

柔らかいのは。
柔らかいのは、君の欠伸。

切ないのは。
切ないのは、君の睫。

温かいのは。
温かいのは、君の声。

苦しいのは。
苦しいのは、君の体温。

楽しいのは。
楽しいのは、君の口端。

痛いのは。
痛いのは、君の指先。

嬉しいのは。
嬉しいのは、君のうなじ。

好きなのは。
好きなのは、君の全部。

されどさながら

何のひっかかりもなく滑らかに流れるように動く糸の上の指が、不意にその動きに不釣合いな音を引き当てた。
ち、と舌打ちが聞こえるような錯覚。
彼の横顔。
ガラスの向こう、進みたがった方向を間違えた手が、「ごめん、もう一回」とジェスチャーで願いを伝えてくる。
彼を閉じ込める密室と、俺が閉じこもる密室には、音は通じない。
声も何も。
ただ、自主的に互いに合わせる視線でもって。
見せるためだけに作る表情でもって、会話をするだけだ。
それがもどかしくなってきた頃に、彼の指は音を外す。
俺の心の中を見透かすようだ、と思う。
彼ともっと濃密に意思の疎通をするためには、無造作に放置したままの右の手を、目の前広がる数え切れないほどのスイッチのひとつに伸ばせばいい話。
そう、至極簡単なことだと思う。
伸ばした指先、彼のように進みたがった方向を間違えることもなく目的を達するまで、僅か約一秒。
「…   」
呼ぶ名は彼に、届くだろうか。
俺にも、届かないのに?

古いメモの一斉処分。

呪いの言葉を吐く。
己への呪いの呪文である。
拘束して拘束して。
息の根が止まるまで。

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必死で隠してきた。
両腕で掻き抱き隠し守ってきたものが、他人にとってどれほど陳腐なものだったとしても。
それでも。
絶対に曝け出すわけにはいかなかった。
なんとしてでも隠し通す。
このまま死ぬまで守り通す。
触れさせるわけにはいかない。
許す刹那すらない。
隙など与えてなるものか。
そうして大切に包み込んで飾った箱の中身が、本当は空っぽだったとしても。

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触れるのが、好き。
人の肌ってどうしてこんなに。
それは君だから?
初めて触れた時、助けてくれるみたいだって、思った。
立ちすくんだ迷子を、見つけてくれるみたいだって。
それだけ君は、あたたかいんだよ。
不意に駄目になりそうになるんだ。
時々、分からなくなるんだ。
途方に暮れた迷子を、導いてくれるみたいだ。
それだけ君は、光なんだよ。

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流れ着いたここ。ふらふらしてたのに。捕まえた。
広大な海の中、漂うイカダみたいに。
行き場なんて元よりなくて。
流れ流れて、ただ引っかかっているだけの、危うい漂流物だとして。
君は僕をそっと波間から拾い上げて、微笑んでくれるのは何故か。
オカエリなんて言葉を吐いてくれるのは何故か。
泣いてしまいそうなほど優しいのは何故か。
流れる水流に追いつけず溺れ、体温も体力も気力も酸素も何もかも奪われた僕に。
君は手を差し伸べてキスをしてくれるのは何故。

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「41.眠い」の処分品

時々、だけれど。
時々、自分の頭がなんだか重たいものに感じる時がある。
頭痛とか具合が悪いとかじゃなく、物質的に、重たいものなんだな、と自覚する感じ。
首の筋肉が不意に頭を支えるのを手抜きする感じ。
ぐらり、重たいなぁ、と、ぼんやり思う。
高い高いところから、人が落下する時。
足から飛び込んでも、自然頭が下になるんだそうだ。
それは実際に重たいからなんだろう。
重たいなぁ。
ぼんやり思う。

落下。

そういえば。
眠くて眠くてたまらない時。なのに妙に意識が冴えてて眠れない時。
真っ暗闇の中。ベッドに潜り込んで、行儀よく仰向けになって、目を閉じた時。
ぐぐぐ、と、頭だけが布団の中に埋もれていくような感覚がある。
まるでベッドもマットもシーツも透ける手が下から伸びてきて、頭を鷲掴みにして、下に引き込むみたいに。
だけど頭はシーツもマットもベッドも透けないから、ぐぐぐ、とめり込むだけで。
痛くない。
ただ、堕ちていく感じがする。
頭だけ。

落下。

頭だけ。
頭から。
頭って重たいなぁ。と、なんとなく思う。

こんな、妙に頭の重さを自覚してしまう時。
いつも、目を閉じてみる。
眠たいわけではなんだけど、妙に頭が休息を欲している気がするからだ。
ぐらり、やっぱり重たいのだけれど。
目を閉じるとつい、重たい頭は後ろに倒れようとする。
がし。
後頭部を鷲掴みにされる感覚。
…あれ。
今、布団の中じゃないんだけど。
横になってない。ソファに座ってたはず。重力の負荷の方向は、正しく俺に教えてくれる。
俺は、確かに座っている。
それに何だろ。頭を掴む手が生々しくて、ちょっと痛い。
引っ張るどころか、支えてくれてる感じも今までと違う。
うっすら、目を開く。

「あれ。寝てたんじゃなかったの。起こしちゃった?」

声が降ってくる。
否、横から右耳に滑り込んでくる。
「…あれ」
ぼんやりした声が、喉と介して舌と唇を僅かに震わせた。
自覚はある。

「寝るんなら肩貸してやっから。後ろに倒れないで」
このソファ、背凭れ低いから後ろ倒れて寝たら顔が上向いちゃうし。そしたら後から肩凝るよ。
声はきちんと聞こえる。
でも、なんだかうとうとしてる最中みたいにはっきりしない。
すると、ぐい、掴まれた頭が少し横に促された。
乱暴じゃないけど、でもちょっと強引な感じだ。
だけどうとうとしたままの俺が、そのままされるがまま頭を傾けると、コトリ、頭が柔らかいような、固いような何かに引っかかってそれ以上傾かない。
あぁ、心地いいかもしれない。
そう思う。
その温度は自分の重たい頭と違うけど、似た温度で。
その匂いは自分の身体に纏うものと違うけど、きっと種類が似ているもので。
…なんだか安心した。

落ちない。

あぁ、これも覚えがある。知ってる。
うとうとしながら思い出すけれど、もう一度瞼を開く気になれなかった。
「………、く、ん」
声だけ絞り出そうとするけれど、うまく出なかった。
あぁもどかしいなぁとか思いながら、だけどもう、あまりに心地良くて。
「うん? 大丈夫だよ、まだもう少し寝てていいよ」
起こしてあげるから。
先刻よりずっと近くで、少し喉元で絞ったような優しい声が聞こえる。
うん。
思わず甘えて頷くけれど、ちゃんと頷けたどうかわからない。
少し右側に凭れるようにして、俺はきっとこのまま転寝をしてしまうんだろうな、と他人事のように思う。



(停止)

逃走。

ハヤク。

走る。

乱れた呼吸すら痛々しいほど白く。

『…ね、駆け落ち、しよっか』

どこまで?

どこまででも。

一緒に?

そう、一緒に。

『逃げちゃおっか』

何から?

何もかもから。

どうして?

なんとなく。

ハヤク。

走る。

掴んだ指先は白々しいほどに冷たく。

意味もなくゲラゲラ笑いながら俺たちは、走る。

ハヤク。

冬の向こうまで。

さぁ、光が見えてきた。

息継ぎは、そこでするとしよう。
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