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始まりの歌を歌おう

青年は探していました。
己の周囲をこっくりと濃厚な闇に包まれても、それでも尚諦めませんでした。

青年は探していたのです。
どこまでもどこまでも永遠に続いていそうな真っ暗闇の最中、だけどきっとどこかにふわりと柔らかく、この手のひらの上に舞い降りてくれるだろう光の粒を。
それがどんなに幼く脆く、儚い光だったとしても。
周囲取り巻く重い暗闇に、すぐに飲み込まれてしまいそうなくらい病弱なものであったとしても。

何ものにも代え難い、尊く清らかな光の粒を、青年は探し続けているのです。

思い切り力を込めることに慣れたこの手で、優しくそっと包むことに不慣れなこの手で。
一生かけて、命も誇りもかけて守り続けるべき光を。

細く細く差し込む一条の光を。

青年は強くなるためだけに鍛え上げた両腕で、強いものと戦うためだけに作り上げた肉体と精神で、儚く脆い光を守りたいと心の奥底から願ったのです。

青年はその小さな小さな、今にも消えてしまいそうな光の粒を、肉刺だらけの手のひらでそっと支えました。
包み込むにはまだ力の加減が分からずに、今にもこみ上げる愛しさに強く胸に抱きしめてしまいそうになるのを必死で耐え。
尊い光を見つめ、恐る恐るそっと、そっと、口付けました。
それは誓いのキスでした。
ふわり、それに応えるように光が僅かに揺れました。
それは今まで触れた何よりずっと美しくあたたかなものに感じました。

青年は不意に泣きたくなりました。
子供の頃よく一緒に遊んだ友人が不慮の事故で亡くなった時も、乗馬の練習中、落馬をして怪我をした時も、父上様に酷く叱られた時も、家族と離れる時も悲しくて悔しくて寂しくて泣きそうになりましたが、いつもいつもぐっと堪えておりました。
しかし、こんな時青年は、泣きそうになったというより、泣きたくなったのです。
悲しくも悔しくも寂しくもありませんでした。
青年は、どう表現したらいいのか分からないほどの溢れ返る歓喜に泣きたくなったのです。
大声を上げて吼え泣き咽びたかったのですが、幼い頃から耐える癖をつけてきてしまった青年は上手に泣けませんでした。
青年は泣きたくて泣きたくて堪りませんでしたが、泣けずに唇を噛みました。
ぐ、と強く強く噛み締めて息を止め、青年は耐え切れない感情の嵐に沈み込みます。

…あぁ、

しばらく耐え、青年はやっとの思いで小さく息をつきました。
そしてその光を手のひらに、その場に膝ま付き、誓いの言葉を口にしました。

そこでようやく青年は、たった一粒だけ涙を落とすことができました。
青年はその己の涙の味と、噛み締めた唇から滲んだ己の血の味を一生記憶したまま生きていこうと決めました。
誇り高く、前を向いて真っ直ぐに。




青年は探していました。
どんなことがあっても、何が起こっても、絶対に諦めきれない光の粒を。
自分のこの手。この身。この心。全てでもって守り抜くべき者を。
出会えたその瞬間から始まる自分とその光が紡ぐ物語を、今こそ始めんがためだけに。
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全て虚構のお話

昔々、それこそ、何世紀昔だったか。昔過ぎて分からなくなるくらい曖昧な昔のお話。

どこかの国のどこかの場所に、立派な立派な古いお城があり、そこにはある貴族様が住んでおりました。
その家は由緒正しく長く繁栄を続け、その時もまた、治める土地の者たちともうまくやり、お国だ宗教だの偉い者たちとも適度な距離感と適度な融和を保ち、平穏に暮らしておりました。

そのお家には少しだけ歳をとった城主様と、彼より少しだけ若い奥様がおりました。
ふたりの間には男の子が3人、女の子が1人、生まれました。
どの子もたっぷりの愛情と人手間、時間と教育が与えられ、健康で美しく育ちました。
その内の一番上の男の子は、もちろん生まれながらに貴族の当主としての教育を受け、二番目の男の子もまた、一番目に何かがあった時のことを考え、当主の二番目の候補としての教育を受けました。
その次に生まれた女の子は、お家と他の貴族のお家を繋ぐ架け橋として、いつでも胸を張ってお嫁にいける女性になれるよう、大事に大事に育てられました。

さて。その女の子よりもう少し後で生まれた最後の男の子は、お家の跡取りとしてではなく、架け橋としてでもなく、他の子供たちより比較的自由に育てられましたが、彼は生来の性根が真面目で何にでも一生懸命に勤め、何より人を思いやる優しい子供だったので、他の兄たちよりよっぽどお家の跡取りに向いているのではないかと思われるほどでした。
彼の生まれた家にはいくつか分家筋もあり、その者たちは彼ら兄弟が生まれた時から自然、跡取りは長男が継ぐもの派、次男が継ぐもの派、ごく少数ですが、三男が継ぐもの派と3つに分かれてしまいました。
しかし彼は自分の立場も弁えていたのでした。
この家はいずれ、一番上の兄。もしくは二番目の兄が継ぐべきもの。姉はいつか嫁に行き、行った先とお家の仲を取り持ち、良い関係を築き上げていく。
その時自分はどうするか。お家のために自分には一体どういったことができるのか。彼は幼い頃から真剣に将来のことを考えていたのです。
彼は分家筋の者たちの意識が分かれてしまったことに心を痛め、せめて自分だけでも辞退できないかと父上様に進言するのですが、まだ幼い彼のことを慮った父上様は、今は時期早々と宥めるだけでした。

彼は兄たちより少しばかり自由だったことや、兄たちと少し歳が離れていたこともあってか、城下の下々の者たちの子供たちとも分け隔てなく遊びました。
自分より年上の子供には礼儀を払い、年下の子供たちの面倒は率先して見ました。
誠実な彼を、他の子供たちも大人たちも、とても好ましく思いました。
彼はいつも誰かに頼られ、誰かを守り、誰かと共にいることを幸福だと感じるようになりました。

丁度その頃、大聖教の司祭様方が聖地へ巡礼に赴く際の守人としての騎士団が存在することを彼は知りました。
揃いの鎧と十字架の描かれた盾。朱色の鞘に納まった美しい剣を持った気高い騎士が、馬に乗って通っていく様を初めて間近で見た彼は、いつか自分も騎士として司祭様を守り、道に勤め、気高く生きていこうと思うようになったのです。
彼は両親にそのことを相談しました。
父上は彼の決意を褒め称え、騎士になるための教育と協力を彼に惜しみなく与えることを約束してくれました。
母上は騎士と生きる危険を心配しておりましたが、彼が一度硬く決意したことは決して曲げないことを知っていたので、最後には彼のために神の祝福がありますようにと祈ってくれたのでした。

彼はその騎士団に入ることで、お家から出なければならないことも、一度巡礼の旅に出るとなかなかお家に戻れなくなり、家族と会うことがままならなくなることも、いつ自分の命が危険に晒されるか分からないことも、きちんと理解しておりましたし、何より、騎士団員を輩出したお家は、輝かしい名誉を与えられ、世間全てから惜しみない賞賛を受けることも、将来長きに渡って政治的な繁栄を約束されることも知っておりました。
彼は必死で勉学に勤しみ、剣術を習い、敬虔な信者としてできる限りの努力をしました。
そして、立派な青年に成長した彼は、とうとう騎士団員となったのです。

出発の朝、すでに他の貴族のお家に嫁いでいた姉も、彼を見送るために戻ってきてくれました。
他の兄たちも、父上も、母上も、使用人たちも。そして、幼い頃から彼と共に時を過ごした農民たちも、総出で彼を盛大に見送ってくれました。
彼は、その人々の気持ちに恥じることない人生を送ることでもって、報いようと心に決めました。

「あぁ、」

母上と姉が代わる代わる彼の頬を撫でました。
彼は両親が少し歳を取ってからの子供だったので、溺愛されていましたし、姉も我が子のように彼を大切にしてくれました。
彼も別れはもちろん寂しかったのですが、そうやって皆が自分との別れを惜しみ、自分のことを祈ってくれることがとても嬉しく、誇らしかったので、悲しくはありませんでした。

「今生の別れではありません」

彼は言いました。また、無事に旅を終えた暁には、一度顔を出しますと。
姉の嫁いだお家のそばを通ったら、必ずそこにも参ります。彼が言うと、姉は約束よ、と強く念を押して彼を抱きしめました。
彼は死ににいくのではありません。戦場に出兵するのでもありません。聖地巡礼の旅は確かに危険がつき物ですが、それでも司祭様をお守りし、道を歩んでいけることは何にも勝ってとても素晴らしいことです。
彼は心身ともに健康で、若く、美しい青年が誰しもそうであるように、未来への希望を胸にいっぱい抱いておりました。
自分が信じた道を真っ直ぐ歩み、生きること。彼にとってそのこと以外に何も考えられなかったのです。

まさか何度目かの旅の途中、彼が力強く歩む正しき道が、人間の力ではどうしようもない強大な力にぼきりと手折られ、そのまま修正することも適わず見通せぬ先へ先へと伸び続けることなど、彼は当然のこと、この時誰も想像しておりませんでした。

とある生き物の独白

他の者にとって毒でしかないそれを口に含むことで、競争から離れることに成功した生き物は思う。

なんでヒトは雑食なんだろう。
ユーカリの葉だけあればそれだけで生きていけるのに。
どうしてわざわざ他の者たちと食料を同じくするのだろう。
それも、肉食とも、草食とも鬩ぎあわなければ手に入れられない雑食に。

何故全て口に含みたがるんだろう。
自分の物にしたがるんだろう。

自分だけの物には決してなれないものばかり。

広大な孤島に取り残されることで、あらゆる混雑から免れることに成功した生き物は思う。

なんでヒトは無駄に群れ、無機質な物を作るのだろう。
樹木の間、手と足で移動できる範囲さえあればそれだけで生きていけるのに。
どうしてわざわざ自分を傷つけることを繰り返すのだろう。
それも、時々自らの。そして他の命すら脅かすほど危険なこと。

何故物ばかり作るんだろう。
自ら独りでは生きていきにくくするのだろう。

わざと空けた穴は決して埋まらないものばかり。

柔らかな体内に子供を抱き、大切に育てることで命を繋ぐことに成功した生き物は思う。

そうか。
ヒトは欲張りで空っぽで寂しがりなんだな。
ユーカリだけじゃ満足できず、空洞を抱えたまんま。
何より、生まれ出た後、体内に抱かれなかった寒さに凍えてしまうんだ。

…そうか。

ある時ヒトが自分を見つけ、自分を抱き、自分に名をつけるのを見ていた生き物は思った。

ヒトは乱暴で自己中心的で自分勝手な馬鹿ばかり。
だけど、その手がどうも温かいのが不思議でならない。

あるダムのお話。

人の立ち入らぬある山深いところに、深い深い谷底があって。
そこには、その谷底の深さに似合わぬ小さな小川が流れていた。
さらさらと何に阻まれるでもなく流れる水はさほど多いものでもなく、ただ、淡々と川上から川下へと流れていくだけ。
そこに、その小さな小川のように小さな少年がひとり、立っている。
少年は近くで拾ってきた、細くて頼りない棒切れで水面を叩いてみたり、水の中に浸してみたり。
特に何をするでもなく、小川のそばにいた。

いつしか少年は、その小川がただただ流れていくことを厭い始める。
このまま流しっぱなしにしていていいものか。
際限なく川上から流れてくる水を、そのまま川下へ見逃し続けていいものか。
幸い、量はそれほどでもない。
なんとでもなる。
少年は周辺から小石や木の枝、枯れ草などをかき集め、小川を堰き止め始めた。
しかし川上から流れてくる水は、その僅かな量は変わらぬも、枯れることはない。
少年が簡素につくったダムなど、すぐに水は溢れてしまい、溜まった水が壊してしまう。

少年はダムが壊されるたび、今まで以上に頑丈なダムを作ろうとする。
小石では意味が無い。もっと大きな石で。
枯れ草だけでは弱い。石の間に土も詰めよう。
始めは小川の流れを乱すだけだった簡素なダムは、いつしか小川を完全に堰き止め、それは「ダム」と呼ぶにふさわしい姿になり始める。

少しずつ溜め込む水の量は増え、ダムの形も強固なものになっていく。
ダムが成長するにしたがって少年もまた成長し、いつしかそれを繰り返して大人になっていった。
少年だった彼はダムから一時も目を離さず、深い深い谷底を水とそれを堰き止めるダムで埋めた。

彼はそれでもダムのそばから離れない。
じりじりと積み上げ時間をかけてたったひとりで作り上げたダムは、上へ行くほど新しく、下の基盤は子供の頃に作ったもの。
どれほど頑丈に作ったものでも、時が経てば当然のように老朽化もしてくる。
ダムの壁には少しの亀裂も少しの歪みも許されない。
いつの間にか谷を沈めるほど溜まった水は、僅かな緩みから簡単に漏れ出し、一度そうなればそれをきっかけにダム全てが決壊してしまう恐れがある。
彼は毎日ダムのそばで見張る。
少しの亀裂を発見するたび、それを修理する。
そして他の場所に亀裂がないかを調べ、見つけ次第修理する。

そうしている間にも、川上から流れてくる水の量は止まらない。
時折、大雨が降った夜などは当然増水する。
そういう時は、彼は決まって夜通しダムのそばで見張った。
少しの亀裂も許されない。
もはやこのダムが決壊する時は、彼は己もろとも壊れることを知っていた。

幼い頃、自分はどうしてあの緩やかだった小川を堰き止めようとしたのだろう。
彼はふと思う。
あの時、そのまま流れるがままを眺めていれば、今これほどまでにダムに己を縛り付けなくてもよかったのに、と。
何故緩やかな流れを、許せないと思ったのだろう。
これほどまでに堰き止め溜まりに溜まった水は恐ろしく、あの清らかな流れが嘘だったように深く濁り、淀んでしまった。
水はひとつところに止まれば淀む。そんなことも知らなかった己が憎いとすら。
この汚水を流すわけにはいかない。
今更あの小川になど戻れない。

彼は僅かな亀裂の入った箇所を修理して回る。
このまま、決壊してしまえばいい。とどこかで思っている自分と戦いながら、それでも彼はダムを守る。
守る理由はただひとつ。
幼い頃からこのダムに溜め込んだ、己という名の汚水ごと、己が決壊せんがため。

似非昔話「白と黒」

昔話をしてあげよう。

昔々、あるところに。
ふたつの大きな山がありました。
正しい名称はありません。
人々はその山があまりに仲良く寄り添うようにしてあるので、片方の広葉樹の多い方を白山、もう片方の針葉樹の多い方を黒山と簡素に名づけ、親しみを込めて呼んでおりました。
それぞれの山の頂上には、互いの山を向かい合うようにして、小さな社が建てられておりました。
両者とても古いもので、誰がいつ頃建てたのかも、もはや定かではありません。
ふもとの人々はその社には大蛇が住み着いていると信じておりました。
白山には目が赤く、透き通るような白い肌をした大蛇。
黒山には目が黒く、虹色に光る青い肌をした大蛇。
誰が見たというわけでもないのに、そう信じられておりました。

互い向かい合うようにして建つ社。
赤い目をした白山の主は、木々の隙間流れるさわやかな風の中、転寝をするのが日課。
黒い目をした黒山の主は、木々の隙間差し込む温かい光の中、日光浴を楽しむのが日課。
両者共互いのこともきちんと知っており、とても仲良しでした。
社を離れるわけにはいかないので互いに行き来することはありませんでしたが、たまに自分の社の上に登り、相手の社をそっと窺うのでした。

隣り合うふたつの山の、山頂に建つ社。
ふたりの大蛇は守り神としてそこから離れられず、互いのことを知っていてもそばに寄り添うことはできません。
赤い目をした白山の主は、この木々を通り抜ける爽やかな風を、どうか黒山の主に感じさせてあげたいと願い。
黒い目をした黒山の主は、この木々の隙間差し込む温かな木漏れ日を、どうか白山の主に浴びてほしいと願う。
住まう山は隣り合っており、互いの存在はわかるというのに、触れ合い会話をすることはかなわないというこの微妙な距離は、ふたりの主をもどかしく思わせるのでした。
しかしふたりは出会うわけにはいきません。
ふもとの人々は、彼らが社を離れれば、何かよくないことが起こると信じていたからです。
ふもとの人々の信じる心から生まれたふたりは、本当に互いが出会うために己の社を離れれば、何かよくないことが起こることを知っていました。

互いの山の特性を、相手にも知って心地よく思ってほしい。
ふたりの主は思いながら、自分の社の上へ登り、互いの様子を窺うのでした。
いつから始まったかわからないけれど、何年も、何十年も、果ては何百年も、そうして変わらず。

昔々、あるところに。
ふたつの大きな山がありました。
正しい名称はありません。
人々はその山があまりに仲良く隣り合うようにしてあるので、それぞれの山の山頂にある小さな社には、きっと守り神がおり、その守り神同士も仲良しだと信じておりました。
ふたりの守り神は出会い、話をしたりして楽しい時間を過ごしたいと思いながらも、自分の社を空けるわけにはいかないので、とても寂しい想いをしていると信じておりました。
広葉樹の多い山を白山。針葉樹の多い方を黒山といいます。
白山には目が赤く、透き通るような白い肌をした大蛇。
黒山には目が黒く、虹色に光る青い肌をした大蛇。
それぞれの山を守るため、何年、何十年、果ては何百年にわたって。
彼らは今も、出会えずそこに、いつづけております。

そう、それを信じる者がこの世に存在し続ける限りは、本当に。

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似非童話「待ち人」

昔々。
それは願い事ならなんでも叶っていたくらい昔のお話。

ある雪深い街に、ひとりの青年がおりました。
大体の人間は大人になるために平気で、生まれた時に神様からたった一度だけ授かる、子供にしか見えないものが沢山見える大切な瞳を、簡単になくしてしまいますが、この青年はその瞳をとても大切に持ち続けておりました。
家族が差し出す何の変哲もない銀のスプーンの、少し傷が入ってくすんだ光すら彼の瞳にはとても眩しく見え、このきらめきすら簡単に慣れてしまうなんてとってももったいない、と思うのでした。
そしてそれで掬い取って口に運ぶものは何でも素晴らしいものに感じられ、いつも特別な気分でその銀のスプーンを手に持ったものです。

ある日、青年の住む街に大雪が降りました。
青年の住む街にはいつも雪に埋もれておりましたが、いつもよりももっと柔らかで美しい大雪に、青年はその白の眩しさに驚き、大変喜びました。
音もなく降り積もる白は、夜から朝にかけて、街のありとあらゆるものを埋めてしまいました。
そしてそれは昼になっても、また夜になっても降り止むこともなく、後から後から空の高みから降り落ちます。
家族の者も近所の者も皆その雪の量に恐れ戦き、家が重みに潰されてしまわぬよう、屋根から雪下ろしをしたり、雪かきをしたりしました。
それでも雪は止みません。
人々は憂鬱げに。そして次第に不安げに空を見上げるようになりました。
たった一人。
神様からのたった一度だけ授かる瞳を大切に持ち続けていた青年以外は。

青年は毎夜ベッドの中で祈ります。
どうかこのまま、雪が止まりませんように、と。
どんどん降り続けて、全て美しく、真白に包み込んでくださいますように、と。
青年のその願いが通じたのか、それとも神様は元よりそのつもりだったのか、空から降り落ちる雪は止むことがありませんでした。
街に住む大人は皆、雪かきや心配事で疲れ果てておりました。
そしてとうとう、この街を捨てて移住することにしたのです。
しかし青年は留まると決め、大きな荷物を両手いっぱいに雪の中に消えていく家族や、友人や、大人たちを見送りました。
青年はたったひとりになってしまいましたが、それでもこの街を愛しておりましたし、何より自分の祈りが叶っていくのがとても嬉しかったのです。

そうして、もう土も建物も何もかも、真白に埋め尽くされて。
青年はたったひとり、どこまでも続く雪原を歩いておりました。
とてもとても寒かったけれど、そんなこと気にならないほどでした。
空からは、後から後から、雪が舞い降ります。
青年は、全て埋まってしまった街にひとりで微笑みました。
それはとても美しく、目に眩いほどの白の光。
そうして口端から零れる息が、白を越えて凍りそうなほどの中。
真白で何もない雪原にぽつり、ひとつの大きな雪だるまがおりました。
いつの間に誰が作ったのでしょう。
それはもう身体の半分ほど埋まってしまっておりました。
青年は全く同じ白の中から、器用に雪だるまの身体を傷つけないよう、掘り起こしました。
雪だるまの身体に、何か光るものが埋まっていることに気づき、それをそっと取り出してみると、それは銀のスプーンでした。
それはやはり少し傷が入ってくすんだ光を放ち、青年の瞳には眩く思えるものでした。
「…何をしているの」
青年は雪だるまに問いかけます。
雪だるまは答えません。
青年は雪だるまの隣に座り、あの日祈った夜から晴れない空を見上げます。
ふと、隣の雪だるまを見やりました。
「誰かを待っているの」
青年は雪だるまに話しかけ続けました。
しかし、雪だるまは答えてくれません。
あぁそうか、
青年は灰色の雲に覆われた空を見上げます。
「このスプーンを君に返すよ」
そういって、スプーンを元の場所に戻しました。
すると、不思議なことに雪だるまが僅か震えるように動いたかと思うと、青年の方を見ました。
「君は誰を待っているの。もう誰も戻ってこないよ。君が溶けて消えてしまわない限り」
青年はその言葉に目を瞬かせます。
「どうして僕が溶けて消える?それは君の方だろ」
青年は不思議な雪だるまに僅か微笑みかけました。
すると、こちらを向いていた雪だるまが僅か、悲しげに目を細めました。
「君の祈りは、ここまで」
そう言って、銀のスプーンを差し出してくれました。
それを受け取るために手を伸ばそうとして、青年は愕然としました。
伸ばす手がなかったのです。
そして、雪だるまから伸びる手は人間のそれでした。
驚いて顔を上げると、そこには自分とそっくりの姿をした人間の姿。
「いやだ!」
青年は叫びました。
すると、スプーンを差し出していた雪だるまだった自分そっくりの人間が、さっとかき消えました。
後に残るのは、青年の祈った真白な何もない雪原。
ぽつり、銀のスプーンが落ちているだけです。
あぁそうか、
青年はやっと我に返ります。
これが、本来魂なき己がそれでも神様に慈悲をいただいて見た、儚い一時の夢だったのだ、と。

ある雪に閉ざされ住むものもいなくなった街がありました。
しかしその街を捨てた人々はどうしてもその街が忘れられなくて、春になって、その街へと戻ってきました。
そこには、もう殆ど溶けてしまった大きな雪だるまがぽつり、芽吹いた新芽のそば。
何故か傷が入ってくすんだ銀のスプーンを内側に抱いたまま、あるだけでした。

昔々。
それはどんな者でも願い事ならなんでも叶っていたくらい昔のお話。

似非童話「嘘」

昔々。
それはまだ人が望んで手を伸ばせば、虹にも触れられていた頃のお話。

一人の青年は、自分の立ち位置の平行線上に立つ彼の姿を見つけました。
彼は青年に見つけられたことにも全く反応を見せませんでしたが、青年がこちらをじっと見つめていることにはとっくに気づいておりました。
だからと言って、何か反応をするわけにはいかなかったのです。
だって彼はその青年の平行線上に立つ者。
彼はそのことをよぉく知っておりましたので、青年の視線など無視してしまうしかなかったのです。
そしてそのことを、彼は特になんとも思っておりませんでした。

さて。
彼のそばには一人の男がおりました。
青年からは姿の見えない、彼にしか見えない男です。
その男は微笑んで彼に言いました。
「わからずやのおりこうさん」
彼はその言葉の意味が分からずに、だけども、青年がこちらをまだじっと見ていることを知っていたので、首を傾げることもできず、視線だけ僅かにずらして男を見ました。
男は彼にしか聞こえない声で、また笑いました。
「ものわかりのいい大人を演じた者の末路を知っているだろう?」
彼はその言葉を耳にした瞬間、その一瞬だけ、青年から見えない方の片目を歪ませました。
そんなこと、言われなくてもとっくに知っていたからです。
しかし、彼にしか見えないその男の言った言葉の真意がわかりませんでした。
「逃れたければ逃してやろうか」
彼にしか見えない男はまた言いました。
彼はまた、青年から見えない方の片目を歪めました。
青年は未だにじっと彼のことを見ていたので、彼はもうそういった反応しかできなくなっていました。
声を出すことも、動くことも、できていたはずなのに、いつのまにかできなくなってしまったのです。
可哀相に。彼はもはや座ることも歩くこともできないのです。
うっかり青年が平行線上に立つ者である彼を見つけてしまったがために。
そして、目をそらさないがために、彼はとても窮屈な気持ちになりました。
彼は祈ります。
どうか、どうか、自分の目を潰して、この男を。そしてあの青年を見えないようにしてください。と。
その折には、できればこの耳も塞いで、声も聞こえなくなるように。と。
彼は青年の真っ直ぐな視線から逃れたい一心で、それはそれはとても熱心に。
しかしそれを表情に出すことなく祈りました。
最初は青年の目を潰してくださいと祈ろうかと思っていたのですが、それにしては青年の瞳は真っ直ぐで美しかったので、惜しくなったのです。

やがて。
青年の平行線上に立つ者である彼の祈りは叶いました。
半分だけ。

青年の美しい瞳を、彼にしか見えない男が潰してしまったのです。
そして男は青年の耳をも塞いでしまいました。
きつく閉じた瞼の隙間から真っ赤な血を滴らせ、しかし青年は彼の方向を向いたままで立ち尽くしておりました。
その痛みはどれほどのものか、彼にはわかりませんでしたが、彼はその血を見て悲しくなりました。
今は堂々と青年の方を見ることができるようになりました。
耳も塞がれているので、声を出すこともできますし、座ることも、歩くこともできます。
しかし彼はまず、彼にしか見えない男を責めました。
「俺が祈ったのは、こんな結果ではない。何故あの青年の目を潰し、耳を塞ぐ必要があったんだ」
すると彼にしか見えない男は、彼にしか聞こえない声で笑いました。
「逃げたいと祈ったのはお前だろう。俺はお前を逃がしてやったまでだ」
「逃げたいだと?そんなこと祈った覚えはない」
彼は激昂します。
それでも男は飄々と、悪びれる様子もなく笑います。
「あの青年の美しい瞳から逃れたいと思ったのだろう。心の底では、あの瞳がほしいと思っていたのに、嘘をついた。それがお前が作った罪。そしてお前に科せられる罰は、もう永遠にあの青年の美しい瞳が元に戻らないことだ」
男はそう言ってご機嫌そうに笑うと、彼の肩をぽんぽんと叩きました。
彼はそれを振り払います。
すると、男は今度はとても強い力で彼の肩を掴みました。
指先が食い込むほどです。
痛みに彼が顔を歪めました。
その指を見ると、指先はあの青年の美しい瞳から出た鮮血で汚れています。
彼は肩よりも胸が痛み、悔しくて悔しくて、泣き叫びました。

祈りに嘘をついたと男に言われて、彼は言い訳ができませんでした。
彼は本当は、青年のあの美しい瞳が心底ほしかったのですから。

彼は男の手を引きちぎらんばかりに振り解き、平行線上に立つあの青年を見やりました。
青年は痛む瞳を瞼で閉じたまま、それでも見えていた時と同じように、こちらにまっすぐ向いておりました。
可哀相に。
平行線上に立つ者である彼を見つけ、見つめ続けてしまったがために、その青年は光を失い、音をも失ってしまったのです。
それでも青年はじっと動かず、表情ひとつ変えず、じっとこちらの方を向いています。
そこで、彼はようやくはっとしました。
青年の視線に彼が動けなくなってしまったように、今度は青年が彼のせいで動けなくなってしまったことに気づいたのです。
彼が、自分の心に嘘をついたがために、あの美しい真っ直ぐな瞳が永遠に失われてしまったのです。
彼は呆然と青年を見つめました。
平行線上に立つ者同士、近づくことは愚か、言葉を交わすことも視線を交わすことも、何一つ許されていないふたりは、全く同じ場所で動けないまま、お互いを思います。
酷い仕草で手を振り払われた、彼にしか見えない男はまた、笑いました。
「わからずやのおりこうさん」
ふたりとも。ね。
そう言って、男は彼の目の前から消えてしまいました。
彼はそれでも反応もできず、動くこともできず、ただ、光も音も、全てなくしてしまい、動けなくなってしまった哀れな青年を見つめ続けます。
その瞼の向こう、美しかったまっすぐな瞳を思いながら。
はたはたと頬を滑り落ちる涙は、青年の瞼の隙間から流れ落ちる血液と同じくらい、痛むものだと知らずに。

昔々。
それはまだ人が本当に心底望んで手を伸ばせば、触れられないものに触れられていた頃のお話。

お月様が欲しい。

真っ黒というよりも、紺色を塗り重ねたような暗い空の真ん中に。
真っ白なまん丸お月様。

君はそれを指差して、あれがほしい。とねだるのだ。

あのお月様は、誰かだけのものになってはくれないのだよ。とどれほど言っても、君は聞き入れない。

あれがほしい。そう繰り返して駄々をこねる。

君だけのお月様がほしいんだね。そう問う僕に、君は頷く。

いつでもついて来てきてくれる、美しく真っ白な丸い月がほしい。と。

だから僕は君のため。
夜空が濃紺色に染まる頃、待ち合わせたいつもの場所に。
真っ白なまん丸風船をひとつ持って、君に会いに行く。

ほら、君だけのお月様だよ。僕はこれでいいのか分からずにそれでも必死で微笑んだ。

わぁ奇麗。君はふんわり微笑んで、僕の手から風船を受け取ってくれた。

よかった。僕は口には出さずにほっと安堵する。

濃紺色のお空の真ん中に、白くて奇麗な、少しだけ欠けたお月様。
華奢な君の白い手に、白くて奇麗な、少しだけ丸さの歪なお月様。

君はとても嬉しそうに、君だけのお月様を見上げる。
だからついつい、僕も君のお月様を見上げてしまった。

せっかくお空に誰かだけのものになってはくれないお月様があるのだけれど。
だけど、君だけのお月様もとても奇麗だ。

僕は満足して、目を閉じた。

隣でふわり、君の嬉しそうな吐息が聞こえた。

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